不可能な表現に挑む前衛画家
井戸原亮二をめぐって
1999年11月(島根県浜田市「二人の美術館」) 浜田市の「二人の美術館」で井戸原亮二展が開かれている。この機会に、この作家について再論しておきたい。
※注 井戸原の絵は難しい。その難解さの根源を、彼の盲学校における教育実践を記録したテレビ番組で見たことがある。フィルムの中の彼は、
フォルムと色彩という視覚的イメージを持たない子供に、触らせ、匂いを嗅がせ…汗だくになって映像イメージを形成せしめようとしていた。かつてヘレン・ケラーが色の好き嫌いを語ったことがあったが、たしかに、視覚を遮断しているのに周囲の色彩に対して身体が微妙に好悪の反応をするのを
示す実験もある。
皮膚が「見る」なり、われわれ人間が進化の過程で退化しさせてきた感覚が、どっこい、機能しているらしい。井戸原は、そうした太古の感性もすべて動員して、子供の内的世界を充実させようと奮闘していたのであった。彼の絵には、これほどまでに情熱を傾けて表現し、伝えずにはいられない視覚的
イメージへの衝動が
内在している。「世界がどのように見えるか」ではなく、「どうして“世界”が見えるか」という問いである。これは、どうしたって難しくしか表現できないし、噛み砕いてしまうと骨抜きになってしまう。
井戸原の作品は、まず一見したところ色彩の美しさが目につく。にもかかわらず、この作家は「焦土、累々たる屍の焼け跡…」といった言葉を作品に添えるのだが、この落差を何と見よう。
かつてミケランジェロは石の中に閉じ込められた人間のフォルムを感知したというが、井戸原もキャンヴァスの向こう側から、こちらの世界に「現れて」来ようとする低いうめきや叫びを感知
するらしい。絵の具を塗り重ねつつ、向こう側からの視線とこちら側からの視線とが交錯する境界面を造り上げようとするのだ。われわれが作品に何か気配を感じるのは、
この理由からだろう。
色彩の中にぼんやり少女の顔が浮かんでいる。あるかと見れば無く、無いかと見ればある。並んだ小品が、みな朧気なフォルムをそこかしこに浮かび上がらせている。
これは、バルザックの『知られざる傑作』と同じ構造。晩年のソシュールが関心を寄せた一種の視線のアナグラムであって、色彩の渦の中にキーとなる形象を見出すと、それを手がかりに顔の形象を読み取ってしまうのだ。
これを適切に表現する言葉が見当たらないが、存在しないものを見させるのは、そこに何か思いや「生」の重みを感知し、それに感応してしまう、われわれの「生」そのものなのであろう。
井戸原作品には、たくさんの表面に現れてこないフォルムが塗り込められていて、見えない論理や情念にわれわれは感応するらしい。写真は、対象の一瞬の姿をとらえるが、絵画は対象の「存在」そのものをとらえようとする。
彼は、フォルムや色彩といった眼前のリアリティーの表面性をはぎ取り、リアリティーの背後の内奥にあるものを全面的に回復しようとする。声高に主張する思想や教条としての自然主義やエコロジー論ではないが、やはり「生命」のなんたるかを語らんとしている。
作品は、美しい色彩によって人を引き寄せ、見る者に高度の緊張と集中を要求し、そして見る者の心の印画紙の上に、まだ存在していないフォルムを生じさせることで自らの作品としての存在を完結しようとする。眺める者の眼は、ちょうど現像液の中で写真の画像が浮かび上がる瞬間を経験するのだ。
これから生じようとする映像、まだ存在しない映像…存在する直前を表現した絵画。
必然によってこのプロセスを実行させようとする作者の意図が明確にあり、画面の細部までがこのコンセプトによって構成されているにもかかわらず、作品自体は、描かないで見る者の心の中で完結しようとする論理をはらんでいる。
井戸原は、作品の論理の複雑さと困難をはっきり自覚しているらしく、秘密を惜し気もなく開示している。かつて井戸原は、ドローイング群と生々しい口唇が描き込まれ、目がかなりはっきりと確認できる一枚をわれわれに提示したことがあった。彼が開発した独自の「目」
の表現の技法によって描かれたこの一枚は、色彩の壁の向こうに沢山のフォルムが隠れているんだぞと、生々しく描かれた口唇が絵の中の「存在」の気配を濃厚に感じさせている。この絵の目は、けっして見る者と視線を合わさない。こちらがみれば視線を避けると気付くと、実は、絵の中の人物はこちらには見えない絵の中の世界で、自分より低い位置で何かをしきりに探している。「あっ、これは自分の子供を探し求める母親の姿だ」と思い至ると、
見えない子供の姿
が感知されて、この作品は完結する。なるほど「母子像」と表題にあるのだ。
なんという論理の作品群であろうか。抽象絵画に収まりきれず、ある意味で具象の極致をも示している。不可能な表現に敢えて挑戦している一人の作家がここにいて、見る者にも極度の緊張と集中を要求している。しかし、ここからどのような次の一歩を踏み出すのだろう。通俗的なポピュラリティーは獲得できそうにないが、このように質の高い芸術活動が、あまり世間に知られずに松江の一隅で孤独に営まれていることに感慨を深めずにはいられない。
(注 筆者は1997年11月25日山陰中央新報紙文化欄に井戸原を含む三人展を批評した)
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