ANNE BOLEYN Museum of Art

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「STONE GARDEN」 木版画・コラグラフ

越前和紙に水性顔料・油性インク・アルミ箔 67×97cm


爲金義勝 Tamekane Yoshikatsu

1959 兵庫県生まれ
1982 関西学院大学商学部卒業
1986 創形美術学校研究科版画課程修了(86〜91同校助手 96〜03同校非常勤講師)
1991〜94 パリにて制作活動
2003〜4 文化庁在外研修員 アメリカ・ペンシルヴェニア大学美術学部大学院

【主な展覧会】
1990 第57回日本版画協会展・奨励賞・準会員推挙(2001年に会員推挙、東京都美術館)
1991 「世界の版画inカナガワ 91 東欧と日本」(神奈川県民ギャラリー)
1994 ビトラ国際版画トリエンナーレ(マケドニア)
1995 文化庁買上優秀美術作品披露展 (東京・芸術院会館)
     CWAJ版画展(東京アメリカンクラブ)にて雅子妃殿下御案内役を務める
1996 さっぽろ国際現代版画ビエンナーレ・大日本印刷賞(札幌市)
     ベオグラード国際版画ビエンナーレ(ユーゴスラビア)
1998 クラコウ国際版画ビエンナーレ(ポーランド)
2002 日本現代版画展(イスラエル・ハイファ市・ティコティン日本美術館)
2004 100都市の国際版画トリエンナーレ・クラコウ 2003〜日本とポーランド(ポーランド)
2006 中華民国第12回国際版画素描ビエンナーレ(台湾)
2014 クルージ国際版画展・招待出品(クルージナポカ国立美術館・ルーマニア)
2015 ヴァルナ国際版画ビエンナーレ受賞(ヴァルナシティアートギャラリー/ブルガリア)

【個展】
Bunkamura Gallery(東京渋谷・東急文化村)、養清堂画廊(東京・銀座)、トールマン・コレクション(東京・浜松町)、レン・ブラウンコレクション(サンフランシスコ)ほか
シアトル、ニューヨーク、フィラデルフィア、プリンストン、パリ、東欧諸国、京都、大阪、名古屋、浜松、横浜、小田原、前橋など約85回

【作品収蔵】
フランス国立図書館、ボストン美術館(米)、米国議会図書館(米)、モリカミ美術館(米・フロリダ州)ロスアンゼルス・カウンティ美術館(米)、 ポートランド美術館(米)、ティコティン美術館(イスラエル) 、国立台湾美術館(台湾) 、ニューサウスウェールス州立美術館(豪)、クルージナポカ国立美術館(ルーマニア)、国立チェコ国民ギャラリー(チェコ)、クレモナ市美術館(イタリア)、スコピエ・オステン美術館(マケドニア)、文化庁、国立国際美術館(大阪)、佐喜眞美術館(沖縄)、他多数   

【所属】
日本版画協会会員、日本美術家連盟会員



為金義勝の木版画・コラグラフ作品を前にすると

しばし呆然、夢見心地で短編映画を見たような気分になる。
何か「神話性」といったものを感じずにはいられない画面の中で、見る者は長い間、視線を遊ばせることになるからだ。

この不思議な感覚について

フローラン・シュミットのピアノ曲を聴きながら考えてみたい。
いきなり画面中央の石板にも見える硬質で圧倒的存在感を持った物体と対面して、見る者はその唐突な出現の意味を探ろうとする。画面下部を満たす藍色が、まさに宇宙空間を思わせる青さと透明感なので、真空の宇宙空間を感じてしまう。
そう、石板のような物体は、無重力空間で浮いているのである。浮遊する軽さではなく、まさに惑星探査機が記録した小惑星の映像と対面する感じだ。

がっしりとした質量をもちながら

宇宙空間に確固たる位置を占めて存在している。その質量の大きさと無重力感に見る者はたじろぐ。画面上にある2つの白い丸が小惑星の衛星に見える。刷り版で数ミクロン上に乗った顔料なのに、小惑星と数百kmの距離を保っていると感じるのだ。

こんな広大な空間を感じさせる作品でありながら、

物理的には67×97cmほどの作品なのである。
最初に圧倒的な存在感の物体と対面してしまうのだが、そのマチエールに表出した板目模様に視線が捕まると、今度は考古学的時代のペトログラフのように意味ありげな線刻に目がとまる。なんと目の前の物体は大きな石版となっている。
先史時代の人間が岩の表面を磨きあげながら、なにかのメッセージや祈りの意味を込めた文様を刻み付けたのである。

丹念に刻み込まれた線刻なら

意味を解読したいではないか。一歩前に進んで読み取ろうとすると、石板の向こうには何か異世界が広がっているのが垣間見えてくる。天岩戸ではないが、この大きな石板は異世界への入り口をふさいでいるものなのである。

一歩下がってもう一度見れば

顔料が乗っているくらいの表現なのに、その奥にはきっちりと描きこまれた油絵のような風景が…、そしてベルメールの人形写真の背景となっているような怪しい異空間が石板の向こうに広がっていて、見る者を誘っているのである。

しかし決して踏み入れてはいけない

私小説的な領域の予感がする。気持ちの上で一歩下がってみると、我に返って作品の前に立っていることに気づく…これが短編映画を見たような気分になるという画面散歩なのである。

シュミットのピアノ曲を聴きながら、

この作品をつくづく見直したが、実を言えば、石板の横から垣間見える世界の静謐さがちょっと怖いからである。彼岸的な無音の世界が石板の背後にはきっと広がっている。よく見ればあっさりとした表現なのに、隣のアルミ箔を用いた表現のインパクトとの対比で、細密をきわめたリアルな風景描写が隠れているような気になるのが不思議だ。

広大な宇宙空間が描きこまれ、

主題となるべき物体の背後に、全貌がうかがい知れない風景が広がっている。一滴の水分も感じさせない情感…為金義勝の国際性はこんなところにあるのかもしれない。


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