ANNE BOLEYN Museum of Art

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「野ばら」 キャンバスに油彩 F0


赤間容子 Akama Yoko

1974 横浜生まれ
1997 武蔵野美術学園 油絵科卒業
1998 二人展(画廊花梨)
     個展(ギャラリー LaMer)
     個展(ギャラリーf分の1)
     二人展(ギャラリー汲美)
     三人展(ギャラリーKANI)
2015 個展(ギャラリーゴトウ)



赤間容子の油彩画を見ると、

私たちの脳に仕舞い込まれている記憶とは、ある事物についてのスナップショットを集めた写真集のようなものではなく多数の場面、画像を一緒くたにして時間の経過をも加えた混沌としたイメージの集合体に過ぎないんだとつくづく思う。
たとえば「野ばら」という作品ではアブストラクトな色彩の氾濫に出会うが、よく見ると、野ばらの群生している目的地に向かう木立に囲まれた道の形象をすぐ見てとることができる。画面を見始めると、私たちは、野ばらの群生地へと向かう道をたどり始め、やがて咲き乱れる野ばらの群れを目にすることになるのだ。

実際には、ほんの一叢かもしれない野ばらを

クローズアップして覗き込み、私たちの頭の中は、その野ばらの地味ながらも清楚で凛とした香気に満たされていく。やがて頭の中が野ばらでいっぱいになるように、画面いっぱいに野ばらのイメージは溢れ出してくる。さらには前に立つ私たちの方にどんどん氾濫して押し出してくる。つまりこの一枚の絵画作品は、ワクワクしながら野バラの群生地へと道をたどり、眺め、覗き込み、頭の中が野ばらでいっぱいになった経験の時間の経過、移動した空間、クローズアップされたイメージノこれらが1つの曖昧な不可分の総体として現出したものなのである。

しかも、この美しい緑と青、白の色彩は、

野ばらをただ写し取ったものではない。むしろ目の前に広がる野ばらの群生が、地味ではあるが凛然として咲く自分たちは公園で庭師に手入れされて過度に華美な姿を誇っている奴らとは違って荒地で精一杯、生き続けているのだと語りかけてくるような、そんな自然の生の営みの強さ、心意気を写し取ったもののように感じられるのだ。

現実の場面をスナップショットとして撮影し、その解像度を下げて抽象化し、それによって逆に眼前の当たり前な光景の背後に潜む「存在」の真実を描き出そうという抽象画は多い。ある出来事の時間的な経過を一連のスナップショットの重ね焼きのようにして表出して見せた抽象画もある。しかし赤間容子の作品は、対象と自分の関係行為を時間的経過とイメージが一緒になった混沌とした不可分な総体として描き出す。

自分の経験の中に構築されたイメージを

鮮烈に追体験させるかのような方向性を採る。実は、人間の脳の海馬にしまいこまれている記憶や映像というのは、こういったものに近いのではないかとさえ思ってしまう。記憶の中にあるリアリティーを現出させる作家、こんな風に赤間容子をとらえてみたいと思うのである。



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