ANNE BOLEYN Museum of Art

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「からにこもる」 キャンバス アクリル絵具/水干絵具/モデリングペースト F6

後藤美桜 Goto Mio

1987 宮崎県生れ

2009 画家、染色家、興梠義孝氏、墨画家吉川萩雨氏のもとで染色絵画(ろうけつ染め)を学ぶ。

【グループ展】
2011 ユニグラバス展(ギャラリーユニグラバス銀座館/銀座)
     6 HU-XXX展4(アートコンプレックスセンター/新宿)
2013 ARTISTS'CAFE vol.7(銀座モダンアート/銀座)
2014 ART@JUNGLE 八丁堀@ラヴPOP(美岳画廊/東京)

【受賞】
2009 日本表象美術協会 日象展 入賞(工芸)
2010 宮崎県美術展 入賞(工芸)



後藤美桜は、鮮烈な色彩のコントラストによるコンポジションを行いながら、

それを寓意的な人体、蝸牛、花といった実在のフォルムで構成する作家である。

色彩のコンポジションが先行しているのか、寓意で画面を満たそうとしているのか、あるいは色彩の美しさの追求に先導され、また煽動されてこのような画面が出来上がっていったのか、すべてはそこから湧き出すような色彩の強烈な存在感が作り出す物語性である。

だから画面に込められた寓意を探り出し、

もっと記号的な何か、あるいは象徴するフォルムが隠されていないか、解読に夢中にさせられるのだ。

「からにこもる」というこの作品は、文字通り、殻で身を守りながらゆっくりとあたりを徘徊する蝸牛が描かれている。それを抱えるように胎児の姿勢をとった女性像は、内にこもろうとする「繭cocoon」作りをしようという内向的内省的な記号であるかに見える。しかし、奥底から湧き出してくるかのような強さと鮮烈さを持った花の青に押し出されて、この女性はまさに生まれ出ようとする胎児でもあるのだ。

つまり少女であり、大人の女性でもあるこの人物は、

フォルムとして持つ意味から、一面で大人に成長することを拒否して少女性に立てこもろうとしているが、同時に周囲の色彩の力によって少女から大人の女性として生まれ変わろうともしているのである。女性は繭にこもって外界を遮断し、大人へと導こうとする外の声に耳塞ぐ姿勢をとる。
しかし同時に、蝸牛を抱え込むことによって、そのフォルムが象徴する三半規管すなわち聴覚によって、失われた音、声を聞こうとしている。
まるでジャン・コクトーが「私の耳は貝殻、海の音を懐かしむ」と歌い、北原白秋が、「三半規管よ、私の母の声を返せ」と絶唱したように、耳を塞ぎつつ、失われた音に耳を傾けるのである。しかもそれは両耳によってなのである。

このように見てくると白い女性の身体は、耳の形にさえ見えてくる。つまり後藤美桜は、

絵画作品という無音のメディアを使いながら、

これほどまでに聞こえない音や声を聞こうと耳を澄ませているのである。
無音であることによって、無限に自由な音を紡ぎだそうとしているのである、内にこもり、外に生まれ出るという両方向のベクトルを画面に内包させるため、この作家は、収束点をもたない無重力空間のような画面構成と色彩の配置を工夫している。

その無重力感が、モザイク画を見るような感覚を生み出し、それによって表面のマチエールが、陶器の表面ような硬質感と光の反射感をたたえることになるのだろう。
後藤美桜という知的な作家には、さらに研鑚を積んで自在な寓話を紡ぎだしてもらいたい。

彼女の絵画表現にある両義性を支えているバランスが、

一方に傾いて動き出そうとする瞬間は、きっと美しい輝きを放つものであるにちがいない。私はそれを見たいと思う。



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