ANNE BOLEYN Museum of Art

index



「星を待つ街」 紙にアクリル 41×54cm

伊藤彰規 Ito Akinori

1955 小樽市生まれ
1978 多摩美術大学油画科卒業

1992 新制作展(以後95年まで)
1993 現代日本美術展(以後94年、97年、98年 00年)
     軽井沢ドローイングビエンナーレ展
     神奈川県美術展洋画部門特選(以後毎年)
1994 三渓展佳作
     横浜現代美術展(中国上海市美術館)
1995 安井賞展 賞候補
1996 上野の森美術館大賞展(以後99年まで)
1997 角田房子著「悲しみの島サハリン」(新潮文庫)装画
1999 昭和会展(日動画廊)
     リキテックスビエンナーレ展(以後01年、02年)
     Japan New Art `99 in Wien(オーストリアウィーン市)
2000 豊穣の海〜現代美術の精鋭展
     春の祭典〜現代美術の旗手展
     西脇市サムホールビエンナーレ展(以後02年)
2001 玄侑宗久著「水の舳先」(新潮社)装画
     日本カナダ交流展(在日カナダ大使館・カナダチリワット市美術館)
2002 玄侑宗久著「御開帳綺譚」(文芸春秋)装画
2003 9月より1年間、文化庁派遣給費留学生としてパリに滞在
2006〜2014 個展 ギャラリーゴトウ 東京・銀座

【パブリックコレクション】
     北見工業大学(寄贈)
     所沢市民文化センター
     ヴィトゲンシュタインハウス(ウィーン市)



伊藤彰規は、その独特の透明で乾いた叙情性で

特筆すべき作家だろう。以前に見た作品では、そのマチエール造りの繊細さ精妙さに目を奪われたが、彼の画面が放つ色彩の深い味わい、静謐さを秘めた叙情性は、抽象画面にもかかわらず胸が苦しくなるようなロマンティシズムをたたえている。その根源はどこにあるのだろう。
伊藤彰規は、絵の具という不透明で光を反射する分子によって、透過性のある光そのものを現出させようと苦闘しているように見える。この「星を待つ街」もそうだが、明るい青の色彩によって、燦燦と輝く太陽の光というのではなく、

ほのかに燐光を放つ存在として

この世界を描き出そうとしているかのようだ。

伊藤の絵画作品を前にすると、宮沢賢治の『春と修羅』の序を思い出す。「わたしという現象は、仮定された有機交流電燈のひとつの青い照明です。(あらゆる透明な幽霊の複合体)風景やみんなといっしょにせわしくせわしく明滅しながらいかにもたしかにともりつづける因果交流電燈のひとつの青い照明です」。
この世界を見ている「私」という存在が幽霊であるだけでなく、目の前に広がる風景も、そこに存在しているみんなも、せわしく明滅する交流電燈の照明である…としてこの世界を描こうとしているように見えるのだ。
交流電燈だから、実は、一秒間に50回、60回と明滅している。

つまり誕生と死を瞬時に繰り返しながら、

不連続の「存在」をまるで連続し、安定した実在であるかのように見ている。それは、明滅の繰り返しを感知できない、私たちの限定された鈍い感性が見てしまう幻に過ぎない。もっと高速度の解像処理能力を持った目が見たら、その断続する明滅の合間に、何か私たちの目が感知していない妖しい夾雑物が潜んでいるのかもしれない。なにしろ因果をかかえた幽霊なのだから…。

こんな想像をめぐらしていると、伊藤彰規のせつないロマンティシズムが了解できるような気がするのだ。「星を待つ街」は、もちろん、澄み渡った秋空、冬空の暮れかかった透明な青、藍色の光に照らし出された街なのであろう。

夕空の残照が弱くなればなるほど、

街の家々の明かりが際立ってきて、街それ自体が星空のごとくと見えてくる。しかし、幽霊としてしか存在していないこの街の風景は、同時に、見上げる星空のような存在でもある。暗くなるとより明確に見えてくる星空のように、家々の「生」の営みという因果の業の深さを内包して、内側から光りだすのだ。
夜空と家々の明かりの二重写し…こうした作家の対象の見方が、抽象画面にもかかわらず、せつない叙情性を生み出しているのだ思う。そして現象を冷徹に見ている賢治の彼岸的な視点を内包することによって、その叙情性の演歌的な水分を飛ばして乾いたものとさせているのかもしれない。



index