ANNE BOLEYN Museum of Art

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「水に浸る」 キャンバス/油彩 SSM

横田 藍子 Yokota Aiko

1980 東京都生まれ
2000 女子美術短期大学中退

【個展】
2008 「花の輪」/ ギャラリー代々木 [東京・代々木]
     「森守り」/ フタバ画廊 [東京・銀座]
2009 「横田藍子展」/ ギャラリー・トリニティ [東 京・六本木]
     「その花にまにあうように」/ ギャラリー代々木 [東京・代々木]
2010 「ひかりのたまり」/ ギャラリー・トリニティ [東京・六本木]
     「遠く薫りつたう時」/ ギャラリー・トリニティ [東京・六本木]
2011 「ハナツナギ」/ ギャラリー・トリニティ [東 京・六本木]
2012 「雨の降りる場所」/ 絵画堂 [東京・内幸町]
     「ひらりひらく」/ ギャラリー・トリニティ [東 京・六本木]
2013 「陽の降る」/ かわかみ画廊 [東京・青山]
     「雨の過ぎた庭」/ ギャラリー・ゴトウ2ndroom [東京・銀座]
     「陽降る森」/ 絵画堂 [東京・内幸町]

【グループ展】
2009 アパート5回 / フリュウギャラリー
     G parkー5人の作家、1つの場 所ー / ギャラリーゴトウ [東京・銀座]
     小作品展Vol.1 / ギャラリー・トリニティ [東 京・六本木]
2010 栃木県芸術祭美術展 / 栃木県立美術館 [栃 木・ 宇都宮]芸術祭奨励賞
     芸法大賞展 / 兵庫県立美術館ギャラリー [兵 庫・神戸]入選
     クリスマスの贈りもの / かわかみ画廊 [東京・ 青山]
     スクエア ザ・セレクタブル展 / フリュウギャ ラ リー [東京・千駄木]
2011 クリスマスギフト展 / ギャラリー・トリニティ [東京・六本木]
     ホープ 希望 in Japan / 練馬区美術館区 民ギャラリー [東京・練馬]
2012 G mini Park / ギャラリーゴトウ [東京・銀座]
     ふたつのけしき / ギャラリー・ゴトウ [東京・ 銀座]
2013 ギャラリーゴトウ15周年記念展 ギャラリー・ゴ トウ [東京・銀座]



明るい光を宿した美しい色彩が揺らめくようである。

しかし、それだけでは私は足を止めはしない。素通りさせない何かがここにはある。でも、解像度を元に戻し、抽象する前のリアリティー、つまり現存する対象を復元しようというのではない。

「水に浸る」という題名が示すように、自然に「水」を連想させる青、緑。
ここには、不思議な浮遊感と、空を仰ぎ見るような光の強さがあり、そして静かに沈潜する悲しみと諦観が漂う。
水辺の風景なら、ゆったりとした流れの水路を小船で行くような音楽、そう、ラヴェルの弦楽四重奏曲第1楽章でも聞きながら、しばらくこの絵を眺めていよう。

横田藍子の色彩は美しいが、

鮮烈さ、強烈なコントラストを持たず、何か一枚ヴェールを隔てて眺めるようなソフトフォーカスの感覚がある。そう思うと、これは水面にわずかに沈みながら、その澄んだ川の水を隔てて青い空と雲を見上げているのだという気がしてくる。すると水に浮いている浮遊感が理解できる。

水面より少し沈みながら、ゆっくりと水の流れに身を任せて空を見ている…これは、戯曲ハムレットの川に身を投げたオフィーリアのイメージと重なる。オフィーリアは、命の灯火が消えゆく刹那、この作品のような光に満ちた空色の美しい色彩の乱舞を眺めたのだろう。

人変わりした狂乱を演じる恋人ハムレットに

絶望して身を投げたオフィーリアだが、死んでしまえば知者も愚者もなく、母の胎内から出たときのように無一物、「非在」という状態に帰っていく。

苦労と艱難の連続だったヘブライ人として

旧約聖書のコーヘレトは、人間はどんなに苦労したって行き着くところは、辛苦煩労で得たものを何一つ持たずに裸で墓場に帰る、そして次の世代の人間がやって来て同じことを繰り返すだけと綴った。すべてはこの繰り返し…「空の空なるかな、いっさいは空」とコーヘレトは歌う。

人間は自分の意志ではなく、神の摂理によって生まれたのだから、生きている限り、何か意味のあるはずのこの人生を楽しむ以外に道はないではないか。
「もしもこの世に善き美しきことがあるとすれば…」とコーヘレトは今を楽しむことを称え、「生まれるに時あり、死ぬに時あり、植えるに時あり、植えたものを抜くのに時あり…」と愛する時と憎悪する時の交錯する人間の歴史を歌うのだ。ヘブライ人コーヘレトならば、神の所有物である自分を勝手に滅ぼす自殺は許されない。

オフィーリアは、悲嘆に悩乱しながらも

自分をこの世に出した神の摂理を拒否したのである。「空の空なるかな…しかし、神が創造したこの世界はこんなにも美しい。その摂理に支えられた美しささえもが私には空しい」とオフィーリアは光を失う瞬間まで凝視しつづけたことだろう。
そんな彼女の視線と重なる何かを、

この横田藍子の美しい色彩の反乱の中に

見出さずにはいられない。ただ美しい色彩を楽しみ酔う画家の視線ではなく、美しい光の背後にある存在の悲しみ、空しさを凝視し問いつづけようとするこの作家の深い眼差しがこちらを見据えているのである。



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