ANNE BOLEYN Museum of Art

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「スケッチ 2012」 アクリル・キャンバス 変100号

矢合 直彦 Yagoh Naohiko

1959 東京生まれ
1988 東京芸術大学大学院壁画研究室修了

1993 山梨県山中湖村にて陶器、壁画の制作を始める。
2001 あすなろ書房絵本「あめふりくまのこ」の絵を描く。
2003 横浜市市営マンション ベイサイド新山下の壁画を制作。
2004 2005 東京銀座「ギャラリー舫」にて個展。 
2006 2008 京都「ギャラリーアートスペース東山」にて個展。
2007 銀座「ギャラリー銀座陶悦」、名古屋丸栄「ギャラリーエスパス」にて毎年個展。
2010 写実画壇会員。大阪「ギャラリー有楽」毎年個展。
2011 京都「大丸」。愛知県三好ギャラリー「Kei」
2012 1月調布「うつわ」、3月「銀座陶悦」、
     4月上野の森美術館「写実画壇展」、銀座「セイコウドウギャラリー」(絵画)、
     6月益子「ギャラリーM,s」、7月大阪「ギャラリー有楽」、
     8月京都「大丸」、11月「銀座陶悦」、名古屋丸栄「ギャラリーエスパス」



壁に映った恋人の影を丹念になぞって残そうとする男という、芸術の起源を述べたプラトンの「洞窟の喩え」のように、人は美しい存在を眼前にして、その感動の瞬間を何とか残し、再現し、望む時に顕現させたいと望むものだ。

対象の「存在」そのものを写し取りたいと思えば思うほど、

それをただ平面に再現する写真のようなメディアではなく、さまざまな手法を用いてリアリティーの「実感」を再現しようとを試みたくなる。芸術家なら一層のこと、これまでにないメディアでリアリティーの存在感を表出させてみたいと思う。

矢合直彦は、千切り絵のようにモザイク状の陶片を貼り付けるようにして画面を構成していく。いや、本物の陶片ではなく、手描きで丹念に同様のマチエールを構築していくのだ。
矢合は、富士山のような山の美しく崇高な姿を前にして、写真のように写し取ってもその真実のリアリティーは再現できないと覚悟を決めたのであろう。彼の大作を前にして、モザイク状のマチエールが放つ深い青色の燐光に息を呑む。

静嘉堂収蔵の水戸家伝来の名物、耀変天目茶碗は、

窯の中での薪の油滴と釉薬の化学変化で妖しい光を放つ深い青を生じさせているが、私はその色合いを連想した。しかし耀変というのは窯の中で焼成する際の奇跡の偶然だが、この作品は強い意志と必然の論理で構成されている緊迫感をみなぎらせている。

矢合は、「この山の本質はこのような姿で表出されなければならない」と

本質→現象を必然の論理でとらえ、そこに自然の実在が自らをこのように演出したがっているのだという強い意志、オーラを放つ情念のようなものとして描こうとしているようだ。

この画面の富士山のような山の姿は、矢合直彦が対象と向かい合って受け止めたリアリティーそのものを、モザイク状の陶片という低い解像度のメディアで再現したものなのであろう。
これは富士山の絵なのかもしれないし、あるいは名も知れぬ小さな山なのかもしれないが、写真に撮った実際の富士山以上に天地を広げて毅然と屹立せんとする志操の高さのようなものを感じずにはいられない。

富士が不二であることの孤独、誇りと葛藤…、

宇宙と続く成層圏の深い青を映しつつ、慕い寄る人間の営みの灯りもそこかしこに宿しているという複雑な多義性を、陶片のようなマチエールのモザイクで構成しているのである。陶片のようなピースが持つ解像度の低さ、そのもどかしさによって、逆に、そのピース集合体を山の景色として了解しようとする、見る者の知覚を強引なほどに巻き込んでくる。

多義的な解釈を宿したピースの集合体が、

一つの景色へと了解を構築する瞬間を、この絵を見る者は体験させられるのである。マチエールの美しさに引き寄せられて、次に一歩引いて全体が「山の絵だ」と了解する瞬間、山が丘ではなく山であるということの志のようなものを鮮烈に感じさせられる。その意味でこの絵は、山という「存在」の普遍性を描き出した稀有な作品なのだと思う。

そもそも人間の視覚は、光学器械のように外部の情報を取り入れたものではなく、脳がどのように外界を認識したのかを示したものであった。対象を拡大し強調してデフォルメしたもの姿も、実は脳がとらえている「存在」のリアリティーである。そんなことを矢合直彦の作品は想い起こさせる。デフォルメされた抽象画面にも見えながら、これは志を持った写実のアプローチなのである。



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