ANNE BOLEYN Museum of Art

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「わたしたちの夏休み」 紙・アクリル絵具 F15

山田 けんいち Yamada Kenichi

1968 千葉生まれ
1992 関東学院大学工学部建築学科卒業 
1994 セツモードセミナー卒業
2006 個展 ギャラリーポート
2008 個展 ギャラリーポート
2010 個展 画廊宮坂



山田けんいちの作品は、明るい翳りのない色彩にあふれている。

「わたしたちの夏休み」という作品も、さまざまな明るい緑の氾濫、家並みも明るく、路地の地面はピンクにあふれている。日本の風景なのに、南フランスや、エーゲ海沿岸の白い石造りの家を思わせるほどの明るい色彩である。

こうした幸福感にあふれた

明るい色彩の充満を眺めていると、ふと20世紀を生きたピアノの大巨匠、アルトゥール・ルービンシュタインの言葉を思い出す。「私は人生をあるがままに受け入れる。人生とは多くの、より多くの幸福を内蔵しているものだ。たいがいの人は幸福の条件をまず考えるものだが、幸福とは人間が何の条件も設置しない時、はじめて感じることができるものだ」。

ルービンシュタインが弾くショパンは、

子供の頃から聞いてきたので私の基準にもなっているのだが、この巨匠の演奏は素晴らしいけど、いささか健康すぎて複雑怪奇な人間の暗部や精神性、構築性への意志に欠けるという不満がよく論じられた。
私も、彼のレコードから離れて個性の強いエキセントリックな演奏を求めてあれこれ聴いたものだが、ルービンシュタインの幸福感の求心力にひかれて何度も立ち戻るのである。彼は、驚くべき幅広さのレパートリーを持っていて、さまざま作曲家を弾いたのだが、ベートゥヴェンもショパンも、ヴィラ=ロボスも違った弾き方をするように思えない。
しかし「何の条件も設置しない」で聞いてみると、やはりラヴェルの和音とブラームスは全然違うし、作曲家独自の音楽がしっかりと表現されているのである。

山田けんいちが南フランスのような色彩で

昔懐かしい日本の路地の風景を描くと、やはり日本でしかない情感が表出しているのである。不思議なことにピンクに塗られた地面は夕映えを宿したものではなく、昼間の強い日差しの空気感を漂わせているのである。描かれてはいないのだが、中央の子供たちの頭上の空は晴れ、青い空と流れゆく白い積乱雲の配置まで伝わってくるのである。

人間の嫌な部分、醜悪で目を背けたくなる暗部をこれでもかと析出して提示しなければ芸術ではない、と考えているような作品を、私たちはあまりにも見せられている。別に、そうしたものを題材として描かずとも、人間の精神の多様性、複雑さ、奥深さは表現できるのだと思う。

山田けんいちが描くボール遊びする子どもが、とくに主題として屹立せず、茫漠と周囲の緑に溶け込んでいるのを眺めながら、私は、こちらを向いた少年は記憶の中の作家自身であり、記憶の中の或るハイライトな瞬間を描いているかなと思いをめぐらせる。

目の前の子供たちを描きながら、

作家が回想するさまざまなフェイズ、子供時代の思い出、旅行した街角etc.が何重写しにも塗り込められているのかとも思う。
私は、この幸福感あふれる色彩に浸っていることにしよう。

「生」を肯定する哲学を

この絵、この作家に見出すからである。



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