ANNE BOLEYN Museum of Art

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「忘れ物」 木製パネル・アクリル絵具 74.0×104.0cm

福留 鉄夫 Fukutome Tetsuo

2010 現代日本美術会賞 大賞受賞

1964 兵庫県生まれ
1987 東海大学教養学部芸術学科美術学課程油彩ゼミ卒業。
1988 個展 近代美術画廊 横浜・関内
1993 個展 JHOUSE 東京・銀座
1994 個展 JHOUSE 東京・銀座
1996 個展 空想ガレリア 東京・銀座
1998 個展 空想ガレリア 東京・銀座
1999 2人展 パステル 東京・南青山
2000 2人展 ピガ1画廊 東京・南青山
2002 個展 ピガ1画廊 東京・南青山
2003 個展 ピガ1画廊 東京・南青山
2004 個展 ピガ1画廊 東京・南青山
     グループ展 ピガ1画廊 東京・南青山
     (企画/48人のイラストレーター出品企画展)
2005 個展 ピガ1画廊 東京・南青山
2006 個展 ピガ1画廊 東京・南青山
2007 グループ展 ピガ1画廊 東京・南青山
     (企画/5人のイラストレーター出品企画展)
2008 個展 ZAIM 横浜・関内
2009 個展 伊東屋8Fミニギャラリー 東京・銀座
     5人展 プランタン銀座6Fギャルリィ 東京・銀座



福留鉄夫は、視覚の幻術使いなのだと思う。

「忘れ物」という作品を眺めながら、私はいろいろな位置から風景を眺め、いろいろなことを考え、短編の映像作品の上映に立ち会ったような気分になった。時間の経過も空間の構造もわからなくなり、ひと時の夢を見たようにさえ思う。百戦錬磨の彼の幻術にかかったのだろう。
この作品では、まずカラスの濡れ濡れとした艶やかな黒い羽が鮮烈に目に飛び込んでくる。カラスというと、不吉なイメージを連想させるが、エドガー・アラン・ポー的な死を象徴する不気味な兆候ではない。リアルに描写された羽が美しいのに、擬人化されたような目の表情を持ったカラスなのである。

自在な表現力により、

同じカラスの中でベクトルが異なる表現がせめぎあう構造が仕掛けられている。
この二羽のカラスが眺めているのが、記号的に抽象化された遠景のビル群である。このビル群は、平面的なコンポジションとなっているのに、マチエールに意を注いだ克明な表現となっていいて、

その壁面が持つ圧倒的な存在感が

見る者の側にのしかかるように迫ってくる。これによりカラスがいるビルとの距離感がよくわからなくなるのだが、これは見る者がビルを飛び越えるような視点の飛翔を経験するという仕掛けになっている。 ビルを越えれば、遠くの空が目に入る。すると今度は、ビルの壁面と空との境界が不分明であるため、なんだか空色の境界からビル群が押し出してくるようにさえ見えてくる。現実を抽象するような静的コンポジションに見えながら、現実が向こうから押し出されてくるようなダイナミズムを感じてしまうのだ。 具象と抽象との組み合わせが醸し出す

神話的な雰囲気は、

福留独特の表現スタイルといっていいだろう。不思議なのが、カラスの足元を泳いでいく魚群である。福留は、川魚の群れのように軽い雰囲気に描いているが、よく見るとアロワナのような巨大魚なのである。これによってこの空間が海のような広大な体積を持ったものに見え始める。このアロワナに目を向けた途端に、絵全体が深海に沈んだ古代都市遺跡のように見えてくる。

この風景を見守る二羽のカラスは、ビルの天辺にいるから、当然重力による落下にさらされている。手前のカラスはビルのヘリを爪でつかんだ状態だから、まさに蹴り出して落下しながら飛んで行こうとしているのだろう。ところが泳ぐ魚群を水辺から覗き込む姿にも水中のいるようにも見えてくる。だから浮力を受けてフワリとヘリに止まっている。 これは、夢の中で見る心象風景をリアルに描き出した具象画なのかもしれない。

視覚の回路を通してではなく、脳に残る情報を

眼球を通さずに見ているかのようだ。どういうわけか夢の中に同じ風景が何度も出てくることがあるが、どういう意味かもわからず心に引っかかっている夢の中の、目では見ていない風景を福留鉄夫は描いているのかもしれない。
だから「忘れ物」とは、夢で繰り返し見る、意味を忘れてしまった風景のことなのかもしれない。

この作家の卓越した表現力は、記憶を作り出す脳の海馬を刺激する。



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