ANNE BOLEYN Museum of Art

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「つかのまのパレイド之図」 紙/アクリル・ペン 72.8×51.2cm

宮内 理恵 Miyauchi Rie

1979 埼玉県生まれ
1997 浦和学院高等学校卒業
1999 山脇学園短期大学卒業
2003 装飾美術の仕事に就く(テーマパーク・CM・店舗等の背景画やペイント)
2006 銀座神幸ギャラリー 「六我夢中」グループ展
2007 子供絵画教室 アトリエだんでぃらいおん 開設
2008 アトリエだんでぃらいおん 「○○の世界」展
2009 アトリエだんでぃらいおん 講師展

[受賞]
2005 第24回 全美展(鎌倉市)入賞
2009 利根山光人記念大賞展 トリエンナーレ・きたかみ 入選



宮内理恵が作り上げる画面の明るさ、にぎやかさ、恐ろしさ、

描きこまれた情報の両義性、強烈なニヒリズムetc.をどう解釈したらいいのだろう。
「つかのまのパレイド之図」を前にして、この作家の底知れない思想性、メッセージ性にたじろいでしまった。
一見すると、花火があちこちに上がって、神輿をくりだした明るくにぎやかで楽しげな絵に見える。風船や大型の鯛をかたどった山車も見える。向島・・・と読める幟(ノボリ)もあって、隅田川の花火の図や何かの祭礼行列を組み合わせて構成した安藤広重の江戸百景のパロディーかな、とも了解してしまう。

しかし私の感性は、何かをとらえていて、

この明るさ、にぎやかさに納得しないのだ。

フランスの印象派の画家たちが広重の浮世絵を油彩で模写したような違和感と、鬼火が描きこまれているような恐ろしいものの気配と迫力が襲い掛かってくる。これはどうしたことか。
宮内理恵は、巨大壁画でやっと可能になるかというような量の情報をこれでもかと描きこみながらなんと(70cm×50cm程度の大きさである)、さらにそれをカルタの図絵かのように閉じ込める枠まで描きこむ。

この作家の才能は尋常なものではない。

絵の右半分を見ると、デフォルメされた富士山に穏やかな海が遠景にあり、バレリーナのような格好をした少女たちが踊りながらやってくる。
しかし左半分に描きこまれているのは、大津波が押し寄せて橋の上の人々や船を飲み込んでいる光景である。
中央部右側にあるのは、絵の枠になっている手前の部屋の窓に吊るされた風鈴の白い布だが、奥の祭礼行列の幟にも見える。左端の船の帆はボロボロに風化して、数十年もの時間が経過したかのようで、異なる時間が左右の世界で存在している。

遠近法でも左右を別世界のように破綻させながら、

一つの異世界を形成している。

例えば中央部右の人間に比べるともっと遠くにあるはずの位置で不釣り合いに大きな猫たちが踊っており、同様に大きな人間が津波に流される人を眺めながら悠然と釣りをしている。手前に描かれた二階の部屋の手摺に見える部分にある鮮烈な赤が強烈なインパクトがあるため、左半分の津波地獄の絵と連続して見てくると、血の池地獄が燃え上がっているところに津波の激流が流れ込んでいるようにすら見えてしまう。

この作家の卓越した手腕は、

異空間を作り上げる仕掛けを豊富に盛り込み、見る者を想像へと誘って離さない。絵は、右端の少女の一団がこちらに進んでくるかのように見えながら、橋をたどって右奥へも進んでいく。この行列はどちらにも進んでいく。時間の象徴も過去へも戻るし未来へも進んでいく仕掛けだ。

凍りついたような花火の絵空事臭さが、ものすごく明るくにぎやかなリズムとメロディーに乗せて、旧約聖書の『エレミア哀歌』を歌うかのような雰囲気をこの絵に与えている。
「ああ、むかしは、民の満ちみちていたこの都、国々も民のうちで大いなる者であったこの町、今や寂しいさまで座し、やもめのようになった…ああ、主は怒りを起こし、黒雲をもってシオンの娘をおおわれた」

この絵が見せる明るくにぎやかな雰囲気と、描かれている黙示録的な恐怖のコントラストに、この作家が抱える表現力、思想性の奥深さを感じて戦慄を禁じえない。



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