ANNE BOLEYN Museum of Art

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「深緑と灰色09-94」 アクリル、岩絵の具、木炭、和紙、綿布、パネル 33.5×33.5cm

田鎖 幹夫 Tagusari Mikio

1955 東京生まれ
1977 東京学芸大学美術科卒

[個展]
1989 キッドアイラック アートホール 東京・世田谷区 明大前
1992 グリーンコレクションズ 東京・青山
1994 グリーンコレクションズ 東京・青山
1996 ギャラリー銀座汲美 東京・銀座
1997 コムニカ 東京・新宿
1998 ギャラリー219 東京・目黒
2000 ギャラリークラマー 東京・目黒
2001 養清堂画廊 東京・銀座
2004 ギャラリーf分の一 東京・神保町
2005 ギャラリーゴトウ 東京・銀座
     ギャラリーワッツ 東京・青山
2006 INギャラリー 東京・目黒区 自由が丘
2008 伊勢丹 新宿
     ShonandaiMYGallery 東京・六本木
2009 ギャラリーゴトウ 東京・青山

[グル-プ展]
1980 新制作展(〜81.82.85.86)
1998 JAPAN KOREA展 新井画廊 東京・銀座
2002 Florence Lynch Gallery New York
2007 「水による彩り-それぞれの行方」 ギャラリークラマー 東京・目黒
2009 水彩人 東京都美術館



田鎖幹夫の画面は、和紙、綿布で独特のマチエールを

作り出した上に岩絵具を乗せていくのだが、絵具の浸透具合からか、表面の繊維にあたる光と見る角度の変化によって幽かな光芒を宿しているような繊細さが味わいになっている。
現に存在しているもののフォルムを抽象し画面を構成するのではなく、作家の心にある観念がフォルムを生み出す一瞬前の、形ができる前の形、色彩が生み出される前の色彩、光を生む前の光…を描き出そうとしているかに見える。

まだ形をもたないものを可視化させ、

まだ光をもたない世界で、色彩が生まれる前の色彩を描き出そうとする。

魔術的観念論のノヴァーリスならば、恋人ゾフィーの眠るお墓の隣に横たわり、白昼の光で見えていたものは現象の世界に過ぎず、夜の闇とともに現象が逃げ去り、実存の神秘を開示するのを見いだすだろう。しかし田鎖幹夫は、ノヴァーリスとは逆に、実存の不思議なエネルギーが、これから現象を生み出さんとする、その直前の瞬間を凝視するのだ。イメージが現れてくれば、それは心象風景などと結びついて情動を生むだろう。しかしここには、フォルムを生み出そうとしてまだ生み出せないでいるダイナミズムだけが描かれていて、感情が生まれる前のエネルギーのようなものが、きわめて理知的に表出しているのだ。

この知的な冷静さ、静謐、

無音に近い世界で音になる前の「気配」のようなものが漂う田鎖幹夫の世界は、感情的な要素が描きこまれていないからこそ、見る者に乾いた叙情性を感じさせ、想像へと誘う。

雪の降る深夜、すべての音が雪に吸収されて静まり返っている中、幽かにカサ、カサと重みのない雪が降り積む音が聞こえてくることがある。見上げる空は、真っ暗なようでいてほんのり明るさを宿し、後から後から落ちてくる雪の結晶を浮き立たせている。そんな雪夜の空の奥深さ、静けさと微かな雪明りの反映を、私は田鎖幹夫の画面から連想するのだ。

静まりかえった世界

そこには、雪の降る様や雪上の足跡を描いたドビュッシーの音楽も似つかわしくない。雪が降りつむカサ、カサという微かな気配と静謐だけがふさわしい画面なのだろう。
しかし田鎖幹夫の「深緑」は、『高野聖』に描かれるような深山の、深緑に澱んだ淵のおどろおどろしさを湛えてはおらず、むしろこれからエメラルド色の光芒を放つ鮮烈な色彩が生まれようとしている、その直前を描いているように感じられるところが魅力だろう。

夜の闇の到来を待ち望んだノヴァーリスとは反対に、

夜明けの光の到来と、実存の深い闇から豊かな色彩とフォルムに満ちた現象の世界を待ち望んでいるような印象を受ける。
だから私は、田鎖の「灰色」が、光の中でいかなる色彩を生み出そうとしているのか、スリリングな興奮をもって見守るのである。



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