ANNE BOLEYN Museum of Art

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「ユクアテヲサガス」 水性木版 41.5×53cm

中西 静香 Nakanishi Shizuka

1980 岐阜県生まれ
2005 日本大学芸術学部美術学科卒業

2004 全国大学版画展 買い上げ賞
2005 鹿沼市立川上澄生美術館木版画大賞 準大賞
     第29回全国大学版画展得賞作品展 (台湾)
     第50回CWAJ現代版画展
2007 未来への贈り物 ギャラリーゴトウ (銀座)
     浮世絵の技術を現代へ 昭和女子大学光葉博物館
2008 Day by day ギャラリーゴトウ (銀座)
     第11回Contemporary Young Painters Exhibition from Japan (バングラディッシュ)
     第7回高知国際版画ビエンナーレ展 入選
2009 高柳裕と若手版画家たち ギャラリー渓 (新宿)
     第6回飛騨高山現代木版画ビエンナーレ 奨励賞
     個展 ギャラリー遊朴館 (高山)
     個展 ギャラリーゴトウ (銀座)



中西静香は、曇りガラスのような不思議な透光性を感じさせる和紙に、木の凹版で何枚も刷り重ねることによって淡く、繊細をきわめた微妙な色彩を生み出す作家である。

このように淡く繊細な色彩は、

写真などで再現しようもないほどなのだが、眺めていると、作品を照らし出す白熱球の照明と明るい色彩が融けあい、柔らかい光そのものが目の前にあって、それに包まれているかのような錯覚にとらわれてしまう。奇妙な安心感と充足感、幸福感に包まれている自分に気づくのである。
画面には、なにがしかのフォルムが現れているには現れているのだが、具体的な実在の「形」ではなく、見る者が記憶の彼方から想い起こしてこなければ、記号的にも象徴的にも解読しようがない、そういうフォルムなのである。

見る者は、「何々だ」と勝手に連想するままに

楽しむことになるのだが、「これは籐製のバスケットかな」などと現実的なフォルムとしてとらえる人もいたが、多くは「いや、古代のローマのコロッセオだよ、ほら、ここに星があって、何か神話的な世界が広がっている」とか、「こちらはオーストラリアのエアーズロックの姿で、砂漠の中で孤高の存在感を主張している」などと連想するので、つまりは40cm×50cmほどの作品の画面にそれだけの壮大な世界があるということでもある。

しかし私はというと、思いがけず雅楽の笙の音色を

連想していたのである。笙の音色は、天から光が降りてくるのをあらわしているという。光を現前させる「音」という古代人の発想もすごいものだが、そういう音色を連想させる中西静香の色彩には、やはり光が宿っているのだろう。

音楽評論家の吉田秀和は20世紀の大ピアニスト、アルトゥール・ルビンシュタインの言葉、「私は人生をあるがままに受け入れる。人生とは多くの、より多くの幸福を内蔵しているものだ。たいがいの人は幸福の条件をまず考えるが、幸福とは人間が何の条件も設置しないとき、初めて感じることができるものだ」を紹介して、この「幸福」という言葉を「音楽」に置き換えれば、ルビンシュタインの演奏に人々が感じる幸福感、充足感の淵源を理解できると述べた。私は、「絵画」という言葉に置き換えて、中西静香の木版作品の幸福感を理解したい。

絵具を乗せれば画面の明度は落ちるはずなのに、

中西静香の木版画は、全面的に光が氾濫している。これは、外から入り込んで室内の物体に陰影を作る光でもなく、フランス古典主義のラ・トゥールのような理性の象徴としての「内なる光」から放射状に発せられる光でもなく、まさに「闇=光の不在」ということがない光である。

これは、中西静香の存在に対するとらえ方を

反映したものなのだと思う。現実が実存の暗黒面をこれでもかと突きつけてくる現代、彼女には、存在そのものの不思議さ、美しさを肯定的に受け入れ、その光輝、香気、高貴を描き出すことをこのまま続けて欲しいと願うのである。



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