ANNE BOLEYN Museum of Art

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「夏木立・水面」 アクリル 145×206cm

織田 泰児 Oda Taiji

1943 岡山県生まれ
1967 東京大学法学部卒業

1976 個展 夢土画廊 東京・新宿
     フランス美術賞展
1977 個展 ギャルリーヴィヴァン 東京・銀座
1978 個展 ギャルリーヴィヴァン 東京・銀座
1980 個展 駒井画廊 東京・日本橋
     日本青年美術展 パリ
     以後、
     個展30数回、佐賀町エキジビットスペース、第一生命南ギャラリー、他
     ポーランド日本文化月間、NICAF、アジアアートナウ展等出品
1990 サンデー毎日に掲載「世界で唯一人のフラクタル画家」
     以後、
     <雑誌掲載>ポスト、サライ、東洋経済、日経アート、他
     <TV放映>NHK、日本テレビ、TBS、テレビ朝日、テレビ東京、他
     <新聞掲載>朝日、毎日、読売、日経、産経、他
2009 個展 ギャラリーアートコンポジション 東京・中央区 佃



織田泰児は、「世界でただ一人のフラクタル画家」と称される特異な技法を駆使する作家である。彼は、絵筆をまったく使わずキャンバスの上に絵具を流していく手法を用いるが、その絵画造形の構築法は、数学のフラクタル理論に基づいて自然の風景のようなものを作り上げることで知られている。

絵画とフラクタル構造を結びつけているのは、

織田泰児だけであるので、この技法と原理について触れておかねばならないだろう。
フラクタル(仏:fractale)とは、フランスの数学者ブノワ・マンデルブロが導入した幾何学の概念であり、図形の部分と全体が自己相似になっているものをいう。

自然界の地形や植生、

樹木の枝分かれがそうであるように、自然物が自己の形状を自動生成するアルゴリズムとして、部分と全体が自己相似的に自己増殖をくり返して全体を構成している場合を把握するための概念である。たとえば海岸線の長さを大雑把な地図で測定しようとした場合、より小さい物差しを当てて測れば測るほど、大きな縮尺の物差しでは無視されていた微細な凹凸が測定されるようになり、その測定値は長くなっていく。

比較的なめらかな海岸線では、直線の長さと比較(分数=フラクションfraction)して1に近い値となるが、リアス式海岸のような複雑な海岸線であるとその値はどんどん大きくなる。もし分子レベルの物差しをあてて計測するならば、その長さは天文学的な長さにまでなっていく(理論的な極限としては測定値が無限大になる)が、実際の海岸線のフラクタルは1.1−1.4程度で計算されている。限られた体積の中で表面積を極大にするために私たちの血管がフラクタル構造になっているように、自然界の事物の構造はそのようになっている。

織田泰児のフラクタル絵画は、

抽象画なのか具象画なのかを云々する以前に、自然界の事物が自動生成するアルゴリズムの通りに描かれていることにより、自然を構築している原理のとおりに描かれているということで、次元を変えたある種のリアリズムになっていることにあるといえるのかもしれない。このように織田泰児の技法は興味深い、しかし彼の作品の魅力は、技法のオリジナリティーのみによって評価されるべきではない。

作品の一番の魅力は、

その技法からくる不思議な静寂さ、宗教的雰囲気なのだと思う。フラクタル構造論は宗教と結びつく。1980年代後半以降、アメリカでは進化論を疑問視する「知性を持った創造者=知的デザイン論」が流行したが、確率論から言って、現代の宇宙像はコペルニクス以来のものより、『創世記』に近くなっている。

ダーウィンは「生命はいたるところで自然に発生・発展する」と楽観的に考えていたが、NASAの研究で原始の地球にメタン、アンモニア、水素がほぼ皆無だったということが明らかになってくると、そこからアミノ酸が生成されペプチド結合してタンパク質分子となり、その分子が機能細胞とにまとめられるまでには想像を絶する無理な過程が必要となることがわかった。

もちろんDNAやRNAといった重要構築物の生成は

通常の環境下では起こりえない。地球の年齢が50億年を下回り、生命が誕生した4億年前までの期間(天文学的に考えればそれほど長いとはいえない)では、「生命機能を持つタンパク質分子が生成される可能性は10の後ろに0を60個足した数分の1以下である」という算定をカバーすることは、どう考えても無理だ。そこから、一部の科学者は「知性を持った創造者」を想定したほうが、この確率論上、無理な仮説を押し通すより、知的には誠実であろうと考えるようになったのである。
当然、フラクタル理論を採用して自然物の構造をなぞろうとする織田泰児の絵画は、その内部にこの宗教性を抱え込んでしまうことになる。

私は、制作に厳密な原理を貫こうとしている

彼の作品を眺めていて、ある種の宗教画的な何かを感じてしまうのであるが、それはこうした自然の不思議な構造との一致があるからかもしれない。



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