ANNE BOLEYN Museum of Art

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「まろやかな なめらかな水 -仁淀川-」 紙本着彩 高知麻紙、岩絵具、墨、顔料 116.7×116.7cm

天内 純子 Amauchi Junko

1974 東京生まれ
1998 多摩美術大学絵画科日本画卒業
2006 マスターアートワークセラピスト認定 (クエスト総合研究所/生涯学習開発財団)

個展
1999 「ケハイ」(銀座)
2001 「ケハイ-2-」(銀座)
2006 「ケハイ-3-」(横浜・ギャラリー石川)
2007 「水とともにー2007−」(横浜・鶴見画廊)
     「水とともにここに」(茅ヶ崎・kalokalo house)
2008 「水とともにー2008−」(銀座・SOL)
     「水-つつんで-」(東麻布・PINO CHIKA)
2009 「廻水-メグルミズ-」(横浜・ギャラリー四門)

グループ展・公募展
1996 「水と風展」(銀座)
2000 川の絵画大賞展 入選(兵庫県加古川市)
2002 上野の森美術館大賞展 入選
2003 「三人展」(横浜・ギャラリー石川) 
2004 前田青邨記念大賞展 入選
2005 上野の森美術館大賞展 入選
2007 「plus#1」(銀座・柴田悦子画廊)
     「plus#2」(横浜・鶴見画廊)
2008 ビエンナーレうしく 入選 (茨城県牛久市)
     「アート&ホームコレクション 横浜」(ギャラリー四門 X TGAハウジ
     ング)
     「pothook」(横浜・鶴見画廊)



天内純子は、「水」をテーマに描くことの多い作家である。
彼女は、流れる川の水面を表現するのだが、ある時は早瀬の水音と煌く光の反射を感じさせ、ある時は上流の深くよどむ淵にひそむ神秘的神話的な存在の気配を描き、あるいは人の声や騒音の中をヒタヒタと流れる身近な河川の水面だったりする。

天内が描く「水」の面白さは、

水面をリアルに描写したというよりも、絶え間なく移動している水という流体の運動エネルギーそのものが表現されていることにある。

日本画作品という、動かない平面であるのに、

実際の川の流れを覗き込んでいるような眩暈にとらわれる。

私は、青梅線の御岳駅近くにある川合玉堂美術館を子供の頃から何度か訪れたことがあるのだが、美術館前を流れる多摩川の渓流を飽きずに眺めつづけたのだった。夏の暑い日差しを避けて、木陰で涼を求めているのだが、山側から流れ込むささやかな支流に渡した2メートルに満たない小さな橋の上を渡る風は、山からの「気」を孕んでいて、なんとも心地よい。
せせらぎの音、蝉時雨に包まれてそこに立っていると、深山というほどではないのだが、たしかに自然の「気」というか、エネルギーを感じるのだ。

とうとうと流れる川は、

自然の循環や「呼吸」そのものを感じさせ、山の樹々が降った雨を貯えて絶えることのない川の流れを調整している、といった大きな自然の仕組みの存在を痛感させる。

だからこそ山からの「気」、

自然のエネルギーをはらんでいる水面を渡る風が、都会の汚れた空気やストレス、効率性や合理性、便利さといった現代人の妄執のような想念にとり憑かれた私を浄化してくれるのを実感するのだろう。深呼吸するたびに、マイナス・イオンと山の「気」、調和した自然…といった感覚が私の中に染み込んでいく。

天内の描く「水」は、運動しつづける流体を画布という動かない二次元に写し取ったもの、というより、むしろその水辺をわたる風や自然界の「気」、エネルギーをも含めて、「水」の環境そのものを再現しようとしているように感じる。その点では、彼女の作品は、実に写実的な表現でもあるのだが、ストレートなリアリズムの結晶というより、むしろきわめて抽象度の高い精神性や見えない気配すらも平面に押し込めようとしている表現に思えるのだ。

天内純子の美しく清冽な色彩が持つ高貴さ、

品格は、描こうとしている対象そのものの精神性からくるものだと思う。
天内作品の抽象性を云々したが、私は、彼女の色彩の清純な美しさは、自然=マクロコスモの息吹きや循環とシンクロナイズすることで作家の体内=ミクロコスモスから湧き出てくるのではないかと直観した。その意味で、今、眺めているこの絵は、宗教画に近い精神性を秘めたものだと思うのである。



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