ANNE BOLEYN Museum of Art

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「Painting/walkure」 麻布 乳濁液地 油絵具 145.5×227.3cm

伊藤 隆之 Ito Takayuki

1978 山形県山形市生まれ
2003 東京芸術大学美術学部 絵画科油画専攻卒業
2005 同大学大学院美術研究科修士課程油画技法材料研究室修了
2008 同大学大学院美術研究科博士後期課程油画技法材料研究室修了

[展覧会]
2003 「トーキョーワンダーウォール公募2003」東京都現代美術館
2004 個展 「Painting」東京都庁 東京・新宿
     個展 「LIFE WORK」トーキョーワンダーサイト本郷 東京・文京区
2005 企画展 「ワンダーシード plus」トーキョーワンダーサイト本郷
     企画展 「三つの個性」ごらくギャラリー 東京・銀座
2006 個展 「THE PERFECT WAY OF LIFE」Gallery OPEN DOOR/ギャラリー毛利 東京・銀座
     大韓民国青年ビエンナーレ 大邱市文化芸術センター 大韓民国・大邱市
2007 企画展 「shinjuku art ∞」新宿丸井 東京・新宿
     個展 「レスポワール展」銀座スルガ台画廊 東京・銀座

[受賞]
2003 「トーキョーワンダーウォール公募2003」トーキョーワンダーウォール賞
2004 第19回ホルベインスカラシップ奨学者
2009 現代日本美術会審査員特別賞



伊藤隆之は、神話的題材を異空間に

構築するために図像学上の知識を駆使して巧妙な戦略を展開する異能の作家である。例えば「Walkure」という作品は、145.5cm×227.3cmの麻布、乳濁液地に油絵具という大作であるが、暗青色の微妙な色彩によって、題名の通りワーグナーの北欧やドイツの神話を題材にした楽劇『ニーベルンクの指輪』第一夜「ワルキューレ」の第二幕だろうと想像させる世界を展開している。

伊藤は、ワーグナーの楽劇をそのままなぞろうとはしないのだが、それは楽劇全体の粗筋を知った上でないと吟味できないだろう。

楽劇では、天上界の主宰神ヴォータンは

自らの専制支配と傲慢の象徴である城、ヴァルハラの建設を青春と不死の神フライアを与えることを条件に巨人族に命じる。約束を果たす気がないヴォータンは地底の王アルベリヒの所有するラインの川底の黄金を奪い、呪われた黄金で作った指輪を手に入れ、巨人族に与えようとするのだが、神々は貪欲という呪いによって没落していくのである。
ヴォータンは、神としての契約、誓いの遂行と欲望の成就の板ばさみとなり、その野心成就の役割を担わせる英雄を出現させようとする。それがヴォータンの子供、生き別れた双子の兄妹ジークムントとジークフリーデの近親相姦、不倫の愛から生まれるジークフリートである。不義のジークムントは復讐によって死なねばならない。

戦死した勇士をヴァルハラに運ぶ役目の神、

ワルキューレの一人であるブリュンヒルデはヴォータンの最愛の娘であるが、ジークムント達の悲運に同情してヴォータンの命令に背いたため神の身分を剥奪され試練の炎に包まれて永い眠りにつく。やがて生まれた英雄ジークフリートと人間となったブリュンヒルデの二人は結婚するのだが、人間的な愛の中で翻弄され、愚弄される二人の非業の死によって呪いは解かれ、世界は浄化され、贖罪がなされる…こうした壮大な物語の一場面なのである。伊藤が描くのは、不義を許さない結婚の神フリッカの怒りとそれに逆らえないヴォータンによって逃亡を阻止されるジークムントとジークフリーデという、楽劇にない場面である。

ワーグナーの楽劇では

北欧の古代文字、ルーン文字が旧約聖書のように束縛の法則を象徴しているし、「ワルキューレ」のためにワーグナーは44もの音楽動機を用意した。音楽ファンなら、そうした音楽の構築法に対応する図像的な表現が隠されていないか伊藤隆之の絵画に探してしまうだろう。それこそ彼の術中にはまる第一歩である。足元に木漏れ日が差す程度に描かれた森が、ルーン文字の象徴を探す視線によって、いつの間にか果てしなく奥深い森に感じられている。また彼の空間構造は意味解読の混乱が仕組まれている。

西欧的な図像学では、普通、視線は左手手前から

右手奥へと流れる空間構造になっているから、西洋絵画では追放される図は必ず正面右奥の方向に進むように描くのが法則である。

これに対して日本の伝統的図法では、

逆の正面右手前から左奥に空間が構築されるのを伊藤は利用する。つまり、あえて左手手前に二人を進ませることによって普通の日本人は、去って行く図なのにこちらに出て来るという違和感を感じて、それが神々の世界とこちらの現実世界との押し合いの感覚となり、空間構造理解が混乱するだろう。逆にヨーロッパ人が見たら、画面奥の世界から追い出されてこちらに向かってやってくる…と理解するだろう。いずれも平面の画面に抱く奥行きのイメージという、透視図法とは違った要素を利用することによって、神話的な異空間を構築しているのである。

壮大な神話的世界を

描くにはその場面で終わらず自己展開していくモチーフが必要である。一見淡色にも見える微妙で精緻な色彩世界を織り成す伊藤の筆捌きはもとより練達の腕の冴えを示しているが、それ以上に神話的空間を構築する巧妙な仕掛けを楽しんでいる節がある。
眺めていて眩暈と空間構造の違和感を感じ始めたら、伊藤隆之のオペラの開幕である。異空間の中の想像の旅に引き込まれてしまうからだ。



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