ANNE BOLEYN Museum of Art

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「岩間の邂逅」 油彩 キャンバス F80

佐藤 吉伸 Satoh Yoshinobu

現代日本美術会会員/審査員

1959 青森市生まれ
1985 東京芸術大学美術学部油画科卒業
1987 東京芸術大学美術研究科修士課程壁画科修了
1988〜1993 日本フレスコ画協会展
1989 個展 JBCギャラリー 東京・銀座
1991 個展 スルガ台画廊 東京・銀座
     個展 ギャラリー風 大阪
1992 個展 伊予鉄そごう松山店 愛媛
1993 個展 新宿小田急ハルク
     個展 ギャラリー風 大阪
1994 国際モザイク展 鎌倉芸術館ギャラリー
1996 個展 ギャラリー風 大阪
1999 個展 ギャラリー風 大阪
2004 個展 ギャラリー風 大阪
2006 Tokiの風展 渋谷西武
2008〜写実画壇展
2009 現代日本美術会特待賞及び会員推挙賞
2010 現代日本美術会審査員推挙

東京芸術大学壁画科非常勤講師
写実画壇会員



佐藤吉伸の色彩は美しい。

その美しさは、神話的な雰囲気と、独特の形容しがたい寂寥感、喪失感を濃厚にたたえている。例えば「岩間の邂逅」という作品は、東京芸術大学大学院壁画科で学んだ彼らしい、壮大な壁画を思わせるようなスケールの大きい作品であるが、磯の風景が壮大な神話絵巻として描かれている。

岩が林立する磯の波打ち際に

大波が押し寄せている風景を抽象化、図案化した中に、人間の姿、その営みが織り込まれている。これに気がつくと、何重写しにもなった人間の姿が見え出し、岩自体も人間に見える。とくに中央の岩は、神話の中の巨人にすら見えてくるのである。

抽象の画面なのだが、

実在する風景を分解し、要素に還元して再構成した画面ではない。岩の模様の中に見えたような、不思議に遠近感が歪んだスピリチュアルな異空間を描き出したように感じる。奇妙な神話性は、清冽な青と赤黒で構成された空間の中を流れる黄色い光が人間の生命力とか、霊魂とかのエネルギー帯を連想させるだけでなく、部分部分の色彩が過剰な自己主張をしていることから発するのだろう。

しかし佐藤吉伸の特徴はその寂寥感にある。

私は、彼の作品を眺めながら二つの事柄を思い浮かべた。一つは、ヘルマン・ヘッセの『メルヒェン』収録の短編である。例えば「詩人」では、すでに豊かな学問とすぐれた詩作で名声を得ていた青年が、花嫁を迎えようというのに、より完璧な詩作の技術を得ようと、結婚を延期してまで見知らぬ老詩人に師事するという物語である。
彼は、美しい自然と人間の営みを眺めつつ、それを完璧な詩の表現に組み立てるべく冷静に観察する傍観者となろうとする自分を見いだしていたのだ。

青年は自分を待つ恋人や親の元に戻ることを忘れ、やがて老人となった自分を見出すのだった。水に映った灯明と本物の灯明の区別ができなかったかつての青年の心のままに、完全な表現を求めるあまり、生身の現実を生きることを捨て去り、より美しく完璧な詩の虚構世界を選んでしまったのである。佐藤吉伸作品の寂寥感は

完璧な美の探究者のそれである。

佐藤の描く岩がもう一つ連想させるのは、ドイツの文豪、ゲーテの『ヴィルヘルム・マイスターの遍歴時代』第1巻第3章、「君は今、世界でいちばん古い山の上に、いちばん早くできた岩の上にいるんだ」と語りだす箇所である。ゲーテは、花崗岩を地殻の最深部にできると考えていて、神の天地創造においていちばん最初に出来上がった岩石ならば、宇宙を創生した神の御業の秘密を語るかもしれないと夢想していた。

「僕はいま、これらの割れ目や裂け目を文字として扱い、それを解読し、単語に組み立て、文章として読み解こうとしている」と彼は記す。ゲーテは、数式や方程式で表せるもの、実験室でモデル化した追試によって確認できる自然現象のみを科学の対象とするニュートン的考え方を批判し、モデル分析ができない、不可分な有機的全体としての自然を実存の方に引き寄せたのだった。

佐藤吉伸の描く磯の岩はゲーテと同質の物語と思索を秘めている。しかもその世界には生身の人間はまだ存在してはいないのだ。これも寂寥感の一面である。



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