ANNE BOLEYN Museum of Art

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「街にて」 ミクストメディア 50×50cm

渡邉 早苗 Watanabe Sanae

1972 愛知県生まれ
1996 愛知県立芸術大学美術学部油画専攻卒業
1998 愛知県立芸術大学大学院美術研究科油画専攻修了

2009 現代日本美術会審査員特別賞

個展
1997 T'sギャラリー 名古屋
     Zainul Gallery ダッカ・バングラデシュ
     ラブコレクションギャラリー 名古屋
1998 六義園画廊 東京・銀座
     ギャルリーくさ笛 名古屋
     茶屋町画廊 大阪
     ギャラリー銀座汲美 東京・銀座
1999 ギャラリーゴトウ 東京・銀座
2000 ギャラリーゴトウ 東京・銀座
2002 ギャラリーゴトウ 東京・銀座
     ギャルリーくさ笛 名古屋
     Gallery YORI 東京・代々木上原
2003 Gallery 五峯 東京・下井草
     ギャラリーゴトウ 東京・銀座
2004〜2015 ギャラリーゴトウ 東京・銀座

出品
1997 第1回熊谷守一大賞展 佳作
1998 第47回豊田美術展 議会議長賞
     第2回熊谷守一大賞展 佳作
1999 第3回熊谷守一大賞展 大賞
2001 第5回前田寛治大賞展



渡邉早苗のミクストメディア作品、「街にて」は、

全体が叙情性をたたえ、力強く大胆な

刷毛目を残した朱色の画面になっていて、そこに窓を連想させるのだが、それにしては小さすぎる白と黄色、金色からなる長方形があり、下方七分の一に底辺との平行線が切れ切れに見えて全体の安定感と視線の遊べる動きを与えている。
左上辺にある黒や右サイド上部の黒い部分など、そこかしこに記号解読や想像をうながす契機となる造形が配置されている。

全体が怜悧に計算され、きわめて理知的に構成された

抽象の画面でありながら、私には作家が表現しようと意図した、ひねりの利いた心情と原風景的イメージがきわめて具象的に描き出されている叙情的な世界に見える。この落差は一体、何なのだろう。
こんなくすみが入った朱色の壁の建物などないだろうに、それでも私には、室内に明かりがともった窓のある壁面に見える。西脇順三郎は、詩集『旅人かへらず』で「開けてある窓の寂しき」と歌ったが、渡邉早苗は「閉じられた窓の寂しき」である。

まるで帰る部屋のない人間が、

あてもなく街を歩き回り、明かりのついた部屋の壁を外から憧憬と羨望をもって眺めているかのようだ。
ジャズのスタンダード・ナンバーが聞こえてくる。”You’d be so nice to come home to.”「帰ったら出て行ったはずのあなたが、お帰りと迎えてくれるのだったらいいのだけれど…でも帰っても、もう誰もいないわ」。明かりの点いていない部屋のドアを開け、朝出て行ったまま止まっていた空気の中に戻るのは寂しい。せめて明かりだけは点けたままにしておこうと思ったのだが、やはり人気のない部屋にただ寝るためだけに戻るのは辛い。

無為に街を徘徊しながら、

「この部屋にはどんな人の生活があるのか」などと想像をめぐらせている。いや、自分の部屋の前に立ち、自分がいなければ人の気配がないという、当然すぎる当然さに戸惑っているのかもしれない。西脇順三郎は、同じ詩集の中で、「泥道に踏み迷う。新しい神曲のはじめ」と戦時中の疎開先の、明るくのどかな午後の田園風景の中に地獄への入り口に至る暗闇の森を見出したが、

壁面に記号としての十字架を

幽かに描きこんだ渡邉早苗も、屈折と寂寥感に満ちた深い人生への洞察を画面の中に描きこんでいる。
この落ち着きのありすぎる朱色の壁は、夕映えを映しているのだろうか。
子供の頃、こんな夕映えを見たような気もする。あるいは赤提灯のほの暗い赤い光を映しているのか、ならばもう夜は深まり始めている。いずれにせよ、「もう帰らなければ」という思いと、「いや、もう少し外で時間を過ごしてからにしよう」という思いとの葛藤のようなものを感じる。そう、室内から街を眺めているのではなく、題名どおり「街にて」なのである。

叙情性で見る者を圧倒してくる抽象画面

リアリティーを解析、抽象化して導き出されたフォルムなのではなく、哀切な情念が、変化に富んだマチエールに塗り込められているのを私は感じてしまう。



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