ANNE BOLEYN Museum of Art

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「ケハイ B 切株より 2」 キャンバス・アクリル F4号

加藤 富也 Katou Tomiya

1955 神奈川県生れ
1980 武蔵野美術大学油絵学科卒業

2009 現代日本美術会奨励賞

[個展]
1983〜87 ギャラリー檜 東京・銀座
1989〜93 ギャラリー檜 東京・銀座
1995〜96 ギャラリー檜 東京・銀座
1999 ギャラリー檜 東京・銀座
2000〜03 ギャラリー檜 東京・銀座
2005 ギャラリー舫 東京・銀座
2007 ギャラリー檜 東京・銀座
2008 ギャラリー舫 東京・銀座

[その他]
1982 神奈川県民ギャラリーDAIDAI展
1986 ギャラリー檜 東京・銀座 DrawingShow
1990 有隣堂ギャラリー 横浜
1991 有隣堂ギャラリー 横浜
1994 有隣堂ギャラリー 横浜
1997 distance ギャラリー檜 東京・銀座 〜内田克己と

2003〜2007 ISE展 ギャラリー檜 
2007 抽象の世界六人展 沼津庄司美術館
     imagination 第3集発刊記念展 ギャラリー檜

[収蔵]
平塚市美術館
町田国際版画美術館
沼津市庄司美術館
山梨県立美術館



加藤富也の抽象絵画は、例えば、切り株を上から見た形のコンポジションであったりするのだが、これがインド哲学的な原子論的世界観を示していて興味深い。

つまりフォルムを抽象するだけでなく、

対象となる存在のとらえ方自体がきわめて抽象的なのである。

加藤富也の「切り株」は、真ん中が朽ちて空洞化していたりする。この樹木は、巨樹に成長したあと、落雷に貫かれ、中心を焼かれて空洞化したのだろう。その中心部分から外側に向け亀裂が侵食しているのを見ると、雷に打たれて枯れた後、朽ちて倒れる、あるいは人に切り倒されるまでに、さらに年月があった・・といった物語を見る者は想像してしまうのだが、

加藤はそのような物語の叙情性を描こうとはしない。

一本の切り倒された樹木の生命とか、その巨樹が眺めてきた景色、あるいはその木陰に宿った人々の物語などを描こうともしていない。そういう日常的な生の営みを「抽象」した次元で、存在というもののあり方をじっと見つめるような

哲学的思索が込められているのである。

彼の「切り株」の奇妙なところは、切り株の中に年輪があるのではなく、その外側に幽かな色彩を帯びて年輪が何層も拡大していて、いわば樹木の外皮とその外側の空間との境界が微妙に曖昧になっている点である。「切り株」の内外を密度が微妙に違っている「点」が埋め尽くしているので、画面は、いわば分子や原子レベルに電子顕微鏡で拡大した映像かのような様相を呈している。

このあたりがインド哲学のヴァイシェーシカ学派を

連想させるところなのだ。つまりこの宇宙は、遍満する唯一不可分の一なる全体、原形質としてのブラフマンに埋め尽くされていて、そこには原子、分子の密度の濃淡はあっても、実は境界線のない一続きの宇宙存在そのものなのである。

その遍満する原形質であるブラフマンの一部分に

どういう訳か「我」という意識が生じ、それが一続きの宇宙存在であるはずのものに、例えば「これは切り株」などと、あれこれ言葉を与えて分節化しているのである。もちろんそのようにして立ち現れてきた「物」は、不断に転変し、また転変し壊れるからこそ「物」なのである。加藤が、おそらくは落雷で焼かれてしまった樹木の厚い外皮部分にこそ年輪を描きこむのは、消失してしまった外皮という、今は存在していない「物」の幽霊?をこそ描くことによって、今、たまたま眼前に見えている「物」が、「切り株」の本体である巨樹という「存在」のごく一部でしかないことを表現しているように思えるのだ。

眼前に現に存在しているものではなく、

「切り株」という存在そのものの本質を描き出そうとしているのだ。
加藤富也の作品の前であれこれ考えていると、この作家の「抽象」度の高さがひしひしと伝わってくる。加藤は、画面いっぱいに「点」を描きこみながら、また眼前にある「切り株」の境界線の外にあったはずの年輪を丹念に描きこみながら、格闘しつづけているのである。



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