ANNE BOLEYN Museum of Art

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「白い音 −元型へ−」 アクリル・ガッシュ、オイルバー、クレヨン、アルミ箔 215×273cm

田所 一紘 Tadokoro Kazuhiro

1962 東京生まれ
1986 東京芸術大学油画科卒業
1988 東京芸術大学大学院油画科修了

個展
1990 みゆき画廊 東京
1992 なびす画廊 東京
1993 『human series』衣笠ギャラリー 神奈川
1994 『ゼロと精神』 みゆき画廊 東京
1996 『川の教え』 みゆき画廊 東京
1998 『青の思考』 ギャラリー・ARK 神奈川
2004 『白い音』 ギャラリー八重洲・東京
2006 『動物百物語 その一』 NC Art Gallery 東京
2007 『空間へ』 画廊るたん 東京

グループ展
1999 国際現代美術展 「波動1999〜2000」/韓国・光州
2000 国際現代美術展 「波動」神奈川県民ホール/神奈川
2003 日韓国際現代美術展2003『刻』神奈川県民ホール/神奈川
2004 韓日国際現代美術祭2004『共』釜山広域市庁ギャラリー/韓国・プサン
2005 『第4回 ル・タン選抜展』 画廊るたん/東京
2007 日韓現代美術展2007―多面体― 川崎市民ミュージアム・ギャラリー/神奈川

受賞
1998 第24回東京展優秀賞―東京都美術館
2005 第31回東京展 東京展賞―東京都美術館
2008 現代日本美術会奨励賞



田所一紘の作品は、一見すると円や直線の幾何学模様のコンポジションに見える。ところが私には寂寥感をたたえた風景画にも、

イギリス道徳哲学の哲理を

秘めた絵画にも見えるのだ。

まず、大きさのグラデーションをもった円の集合がキャンバスの四辺に配置されているのに注目しよう。大きさのグラデーションが動きを導き、右辺から上辺、左辺…と反時計回りの回転運動をしながら奥から前面にせり出してくる。左上辺で円の配列に間隔が生じているため、単純な回転運動が壊れて、各辺の円がバラバラに動く感じがする。奥行きあるに凸凹、いわば空間の歪を感じて眩暈を起こすのだ。

濃紺の円のインパクトに目を向けていると、

中央の幾何学模様が後方に退いていき、あたかも未来都市を空から見下ろすかのような感じに背景世界として広がる。今度は高いところから下を覗き込む気分だ。
曲線や円が、飛行機から見る雲のように視界をさえぎるため、遠方の風景との距離が広がるのだ。しかし遠景が明るいと感じると、今度はジェットコースターで光のトンネルを急降下しているような錯覚を生み出す。

目を向ける部分によって、こんなに想像が膨らむ。

「眩暈がするような、目が回るような錯覚を覚えるかもしれませんが、でも、これは単に造形のコンポジションなんです」と、田所一紘の声がするような気がしてわれに返る。計算され尽くされた画面なのだ。

しかしこの濃紺の円のインパクトの強烈さはなんだろう。そう、これは巨大な瞳だ。
外国の友人と議論をしていて押し問答となり、「言っている意図がよくわからん」と思って、その青い目の奥にあるものを覗き込んだけれど、なんだか急に理解しあえないような気分になったことがあったのを思い出した。相手も同じように思ったのだろうが、お互いの真意を探るような、でも伝わらないような瞳の奥底…そんな気分さえたたえている。

人間は、上から命令されても言うことはきかないが、他人から承認されたい、称賛されたいという気持ちが本能としてあって自己の言動を抑制する。

お互いを鏡として映し合う視線が交錯する

無限の鏡像関係の中で生きているというのがイギリスの道徳哲学の認識だが、このガラスのような水分を含んだ繊細な質感の円が、人間の瞳を連想させ、その視線と向きあってしまうことで、こういう思索へと駆り立てられるのだろう。 

すべては、「脳がそう見ている」

というだけであって、実在がそうである保証は何もない。「もっと何でもありでいいのだ」と茂木健一郎のような脳科学者は語るが、逆に、外界のあらゆる存在は脳が知覚している夢だとする独我論の孤独を、私はこの作品の中に見出す。
画面の強い寂寥感は、こうした「目」と真正面から向かい合ってしまった作家の孤独な営みに感応した証拠なのかもしれない。



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