ANNE BOLEYN Museum of Art

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「空想ビオトープ・夏」 楮紙・岩絵の具・松煙墨・胡粉 F20

磯部光太郎 Isobe Kotaro

現代日本美術会会員

1970 東京生まれ
1997 東京芸術大学大学院修士課程美術研究科日本画専攻修了
     天龍寺法堂雲龍図(加山又造筆)アシスタント
1998 国宝中尊寺金色堂内陣巻柱復元模造、復元模写図案担当
2003 野村裕基(野村萬斎長男)初舞台記念扇制作
2008 現代日本美術会賞大賞受賞 及び 会員推挙賞受賞



磯部光太郎は、想像力の旅人、

ミクロの漂泊の詩人である。小さな空き地の水溜りを眺めては、行乞の旅に出た山頭火のような詩人たちが目にしたであろう山間の湿地帯を一人旅行くイメージを見出したり、磯の潮溜まりに宇宙を見出す人である。
「磯の銀河」という作品では、数十センチ四方ほどの潮溜まりの描写には、水中生物の生の営みが実にリアルに描かれているだけではなく、それを覗き込む作家自身の視線もが水面に映し出されているのを感じる。

寝転んで空を見上げていると、

地球上の生物は、空を飛びまわる鳥ですらほんの少しの高みまでしか行けないのを感じる。われわれは、自由のようでありながら、実はすべての生物が地表面にへばりついて生きている。
空を見上げる私には、おそらく20、30キロメートル以上の距離が見渡せているはずだから、成層圏のかなり上層までを眺めていることになる。それはまさに目と鼻の先に宇宙の広がりがあるということなのである。
磯部光太郎が描き出す磯の潮溜まりの絵、「磯の銀河」という題名はそういうことだ。彼は、三浦の磯辺を歩いてこの小さな潮溜まりを写生したという。小さな水面を覗き込みながら、自分の頭上に広がる空が映るのを眺めたのだろう。

しゃがみこんで水面を覗き込んでいるのに、

彼の意識は、三浦、房総を見渡す太平洋の空高くに舞い上がり、空と海だけの宇宙と続きの広大な空間に一人存在する孤独を経験してしまう。眼前の潮溜まりと、宇宙的な寂寥感が見事に融合している。地図を眺めながら想像上の旅を楽しむように、

小さな水溜りに宇宙を見出すのだ。

そして、この「空想ビオトープ・夏」では、散歩途中の藪や小さな空き地を写生しつつ漂白の旅を見出している。こういうロマンティシズムは私の魂を揺さぶる。日常の小さな場面、場面に漂泊の旅情を感じ取り、心を震わせている詩人がいるのを感じるからだ。

磯部は、克明に写生してきたデッサンを下に、単純な線と平面の構成とリアルな描写とによる彼独自の画面を生み出そうとするのだが、この作品を距離をおいて眺めて驚いた。写生してきた鎌倉の木立で鳴く蝉や藪にからまる蔦の様子が平面的に画面構成されていたはずなのに、自分が藪を掻き分けて前進し、心の奥にある記憶の場所へと向かおうとしているかのような錯覚にとらわれたからである。

彼が心で旅した長い道のりが

縮尺された地図になっている。下地に塗り込められた奥深さは、このようにしてはじめて実感できるのだろう。ロマン主義文学の漂泊の詩を想い起こさせる磯部光太郎の作品は、凝縮した叙情性の結晶というべきかも知れない。



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