ANNE BOLEYN Museum of Art

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「彩」 テンペラ混合技法 F30

黄懐湘 Koh Kaisho

1976 中国 瀋陽生れ
2000 中国 瀋陽魯迅美術学院卒業
2007 横浜国立大学修士課程在籍
2008 現代日本美術会特別賞



黄懐湘は、リアリティーを再現する人ではなく、構築する人である。対象を了解して把握したものを表出させるのではなく、対象に胚胎している生命力、現実の構築力=エロスを見出し、それを写しながらどんどん画面を充満させていくのである。

概念把握(concept)と同根の

conceptionが「妊娠」であるように、胚胎した何者かがある構想をもって内部で成長し、やがて外に現れてくる・・こうした言葉を思い起こさせる作家だ。彼が描く花瓶に挿した二本のバラを見ていると、ジャングルのような印象を与える。夢想の中の理想化された異国のジャングルであるかのようだ。

神話化され、

不思議な静謐を秘めた物語を内在させている。私はしばし立ちすくみ、この理路について考えずにはいられない。

黄懐湘は、中国瀋陽魯迅美術学校で古典の模写を積み重ねて技法を練り上げ、練達した筆遣いを手に入れた。その上で横浜国立大学大学院に学んだ。

日本画と西洋絵画を取り入れ、

いわばハイブリッド化された彼の絵画表現が、花瓶に活けられたバラを描きながら、その中に雄大な黄山の雲海を描く南宋画の広大な空間が詰め込まれている印象を見るものに与えるのかもしれない。挿された花の葉の一枚一枚、陶器の質感、敷物のどれもが画面の中の見所として立ち現れてきながら、しかも全体は明快なテーマによって緊迫感ある統一性を保っている。

驚くべき細密な線の集積により、

微妙で繊細かつ力強い色彩のグラデーションを作り出している。あらゆる細部が入念なフォルテのタッチで描きこまれていて、それが音の強弱のないチェンバロによるフーガの演奏のような、平板のようでいて各声部が競い合っているポリフォニックな世界、上品なバロック性を醸し出している。司馬江漢の西洋絵画風の東海道図絵に影響された広重の東海道五十三次が、「箱根」図において遠近法ではなく色彩によって記号的に空間の遠近・奥行きを表現しようとしたのと似たような、不思議な空間構造・遠近感を感じて、私は眺めていて軽いめまいを覚えた。
眼前の花と花瓶というありふれた対象が、空間にゆがみを生じさせる異界への扉になっている。

われわれは唯一不可分な

全体である世界を言語によって分節化し、一定の視点によって統一された秩序としてこれを認識する。このことは言語哲学の基本として私も繰り返し語ってきたことだが、黄懐湘の作品を前にしていると、自分が当たり前に見ているものが、実は近代西欧の視点と同化した結果であるという事実に気づかされるのだ。



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