ANNE BOLEYN Museum of Art

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「untitled」 麻布/エンカウスティーク(焼付け蝋画) F10

有賀 礼 Aruga Rei

1984 山梨県甲府市生れ
2007 横浜国立大学美術科卒業
     横浜国立大学修士課程在籍
     第25回上野の森美術館大賞展入選 賞候補
2008 現代日本美術会特別賞



有賀 礼は、蜜蝋を焼き付けるエンカウスティークという古代の絵画技法を用いる異色の作家である。

エンカウスティークとは、エジプトで出土する

遺跡に見られる古代の技法として8世紀ごろまでは伝承されたが、1000年を経た18世紀フランスのブルボン王朝期にポンペイの壁画群への関心から復活し、また忘れられたという技法である。この技法は外見の印象とは逆に、油絵とは違って経年による変化を見せず、湿気や酸、光にも安定して変色や亀裂を生じないという。有賀は、驚くべき繊細さを見せた淡い薄塗りによって、独自の表現を追求している。

この技法の優れた表現力と可能性は、

枯れたバラをガラス瓶に活けてある静物作品に垣間見ることができる。鉛筆描きのような克明さを感じさせるのに壁のシミほどに淡い色調の蜜蝋の焼付けに、わずかに白や赤の色彩を加えた表現は、すぐにパリンと割れてしまいそうなほど薄いガラスを実にリアルに現出させているのだ。花の活けるには不向きなほど薄い質感は、この技法による表現がガラスの厚みを0.1ミリ単位で提示できることを誇示しているかのようだ。古代エジプトの絵画表現が、近代のそれとまったく異なるダイナミズムをもっているように、

有賀 礼はこの技法を手にして、

対象のクオリアの強弱バランスをアレンジしなおすことによって、眼前のリアリティーを解釈しなおし、幻想に満ちた異界であるかのように提示する。

ありふれたキャミソール・ドレスが、

シュールな心象風景に見えてくる。あるいは複雑な因縁や葛藤を秘めたいわくありげな品物としてたち現れてくる。外で雨が降っていれば、その雨音で同じ部屋にいる人にも聞こえなくなってしまうほど弱音の古楽器ヴァージナルを使用して、ドビュッシーやラヴェルの楽曲をすべてフォルテのタッチで演奏するかのような不思議なアナーキーさがある。

有賀がエンカウスティークに魅了されたのは、古く色あせたセピア色の写真のように、見るものの想像力や懐古の情を刺激するような表現にあるのかもしれない。かすかに見えるかどうかという人物像もいい。しかし、このように淡い表現には、つい先ほどまで人が着ていて、その体温が残ってるような薄い布地の質感を描いた、このドレスの絵のほうが凄みを感じさせる。

かそけき表現が、

逆に意味ありげな情念の結晶へと想像を膨らませる。復元された古代の技法を手にして、近代絵画が捨て去ってきた物語性を再導入し、想像で余白を充満させるのだ。従来の画面構成とはまったく違った形に、いやリアリティーそのものを再構築して提示してやるぞと意気込む新進作家の姿に、ドラマの始まりを感じた。



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