ANNE BOLEYN Museum of Art

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「work2006」  発泡樹脂パネル、薄美濃紙、顔料、岩絵具、アクリル 28.0×45.0cm

土屋 範人 Tsuchiya Norihito

現代日本美術会会員

1989 東京芸術大学日本画科卒業
1990 イタリア、フランス遊学
1999〜千葉工業大学非常勤講師(建築都市環境学科)
2006 阿伎留医療センター・壁画オブジェ制作
2007 現代日本美術会奨励賞
2008 現代日本美術会会員推挙特別賞

〈グループ展〉
1994 春季創画展(日本橋高島屋)
     「壁の領域」三人展(ギャラリー美遊、神田)
1995 「plants]二人展(ギャラリーアリエス、京橋)
1996 「piece of art」展(ギャラリー美遊、神田)
1999 第1回池田満寿夫記念芸術賞展 優秀賞
     第1回トリエンナーレ豊橋 賞候補(豊橋市美術館)
2000 「和紙−12の様相」(ギャラリーフレスカ、新宿)
2005 ギャラリー山下10周年記念展(ギャラリー山下、錦糸町)
2006 CONTEMPORARY ART -和紙 その多様な表現-(銀座井上画廊、銀座)

〈個展〉 
1996 ギャラリー美遊(神田・東京)
1997 ギャラリー美遊(神田・東京)
1998 ギャラリー山下(錦糸町・東京)
     ギャラリー流儀(田町・東京)
1999 ギャラリー流儀(田町・東京)
2000 ギャラリー山下(錦糸町・東京)
2002 ギャラリー舫(銀座・東京)
2005 ギャラリー舫(銀座・東京)
     ギャラリーC_Square(大阪)



この作家については、その技法に触れておかねばならないだろう。発泡樹脂を熱により変形させ、できた凹凸に色材を埋め込んでいき、フラットな表面に奥行きのある色彩を作り出すというもの。岩絵具による色彩なのだが、薄美濃紙の質感とあいまって、眺めていると不思議にメキシコ・オパールを思わせるような透明感を感じてくる。すこしも透明ではないものに、透明な奥行きと光芒がある。

小品なのに、この絵の大きさと迫力。

奥へ奥へと誘われる感覚が、ちょうど高速道路のトンネルに入ると、平坦な道を走っているのに、突然、真っ逆さまに急降下している錯覚に駆られるのと似ている。

どのような対象を分解し、抽象化して得られたフォルムなのだろうか。フォルムだけなら、あれだ、これだと見えないこともないのだろうが、印象はまったく現実世界との接点を感じさせない。金星の灼熱の大気の中で見る光景のような、宇宙のどこかで銀河を形成しようとしている爆発の中のような。あるいは、逆に、知覚した視覚情報を脳が「あっ、・・だ」と言語を与えて、それらしく見えてくる以前の、

なにか現存在そのもののフォルム

のような、なんとも形容のしがたい形而上学的な広大さを感じさせるのである。共通するのは、光の存在と奥行きの深さなのだが、この印象、幻覚がどこから生まれてくるのか。メキシコ・オパールにせよ、宇宙にせよ、神話的という以上に宇宙的な単位の時間的空間的広がりを感じさせるものである。こういう作品は文学を借りて形容するよりしかたがないだろう。

古代ギリシアのピュタゴラス学派は、

音楽と天文学、数学をひたすら研究するオルフェウス教団という宗教団体でもあった。弦の振動から倍音、5度上の音へと様々な音が導かれるならば、永遠の規則性を持って運行する天体の間の比例関係にも、人間の耳には聞こえない宇宙の和音、天体の音楽が鳴り響いていると彼らは考えた。数学という理性の精髄を追求することで、人間の精神が純粋に理性的、すなわち神的なものに近づけば、その天体の音楽が聞こえてくるのではないかと夢想したのである。

これを物語として語ったのは

キケロの「スキピオの夢」第10章であり、ケプラーが惑星の運行法則を研究した動機でもある。
土屋範人の作品を前にして思い出していたのは、このような系譜に位置するミヒャエル・エンデの『モモ』の一節だった。モモは、歌えなくなった鳥が再び囀り始めるまでの、声にならない鳥の心の中の歌声にじっと耳を傾け、窪地に寝転んで天体の音楽に耳を傾ける。

このように本当に耳を傾けて

聞き入ると、やがて実在の音がこの世界に導き出されてくる。音になる前の音、フォルムや映像になる前の茫漠とした光のきらめき、いや、その光を発する以前の膨大なエネルギーを孕んだ原子の雲・・、そんな連想の堂々巡りをしてしまう。モモのように窪地に寝転んで空を見上げながらまどろんでいく、その眠りに落ちる一瞬前に、私の目の奥の網膜がとらえた混沌・・、それがこういう形象なのだろう。モモのように聴き、見ることに触れた作品だと実感した。



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