ANNE BOLEYN Museum of Art

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「誰もが既に道を宿す」 油彩・アクリル・キャンバス F120号

有馬 寛麿 Arima Hiromaro

現代日本美術会会員

1965 東京生れ
1989 愛知県立芸術大学絵画科専攻首席卒業
2002 ドイツ ローテンブルク取材外遊
2003 台日当代青壮美術家六人展
     (台湾/台中県立港区芸術中心)
     南フランス ニース・コートダジュール取材外遊
2005 国際芸術交流展(神戸・原田の森ギャラリー)

(個展)
ギャラリー朋 2001、2003、2005年
名鉄百貨店(名古屋) 2002、2004年
アート・デ・アート ギャラリー(高槻/大阪) 2000、2003年

(受賞)
1989 桑原賞
2002 播磨文化賞美術賞
2004 第16回フランス国際絵画彫刻グランプリ 栄誉賞(仏/ニース)
2005 第118回サロン・ド・プランタン展 栄誉賞(仏/リヨン)
2006 現代日本美術会審査員特別賞
2007 現代日本美術会会員推挙特別賞



有馬寛麿が世界を見る見方の独自さには、いつも驚かされてしまう。彼の抽象作品は音楽をそのまま形象化したような律動感にあふれていて、背後に音楽が流れている。その複雑なリズムのポリフォニーには、いつも楽しませてもらえるのだが、実は、私は彼の具象作品のファンである。

一見、何の変哲もなく描かれている世界は、

不条理な色彩を宿していたり、三次元CGで復元したら一体どのような構造なのか首を傾げたくなるものだったりするのだ。何気ない日常の風景かと思って眺めていると、「あれ、どうなっているのか?」と気になり始め、気がつくと画面の前で随分長い時間つかまっている。実に豊かにキャンバスの中の世界で遊ぶことができるのだ。

たとえば「誰もが既に道を宿す」という作品を見たときには、その強烈な色彩にびっくりした。
有馬の自宅近くの田園風景だと言う。はじめは「ああ、夕暮れ時の、夕焼けの赤が深い青、藍色に変わっていくのを田んぼの水面が映し出している、そんな時間帯の景色なのだろう」と了解した。でも何か腑に落ちない気分がある。

なんだろう、構図のせいだろうか?

しかし、あとで作品の写真をコピーした白黒映像で確認したのだが、それは実際の風景を写真に撮った資料かと思い込んだほどのスーパーリアリズムの作品だったのである。とくに作品上部の遠景部分は、実にリアルに描かれている。しかも色彩を取り除いてみると、あの前面の夕暮れ空を映した田んぼは、冬から春先までの期間の水を張ってない地面なのである。その感じが白黒コピーでは実に克明に描かれているのだ。

絵の前で謎解きに夢中になる。

左上部に描かれているため池のような水面は、変哲もない普通の青空を映している。ならば田んぼの色彩は空の色ではないのだ。畦道や道路とおぼしき部分に置かれた強い黄色に導かれて遠景を眺めると、画面上部の遠景が鮮烈にこちらに迫ってくる。いや、この感覚は、見ているこちらが画面に飛び込んでいき、奥に描かれている遠景の方向に空を飛ぶ感じなのである。

手前の田んぼの鮮烈だが暗い色調がぐんと沈みこみ、強烈な黄色に導かれて明るい遠景の世界に飛んでいく。あたかも幽体離脱でもして異次元、異世界に飛翔する感覚・・・おそらくこの鮮烈な青紫、夕焼けの赤が消えゆく藍色は、異世界を飛翔する霊魂が下方に眺める色なのかもしれない。

芸術家の目は、

日常の平凡な風景の中に、何か人間存在の深遠に触れるような色彩を見出し、それを画面に描き出す。
有馬が眺める日常風景は、映画の一場面であるかのようにかくも劇的で、しかも彼の抽象作品と同じようにバックミュージックが鳴り響いている。有馬が、日常風景をもっともっとたくさん描いてくれることを切に願う。



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