ANNE BOLEYN Museum of Art

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「吽(うん)」 鉛筆・色鉛筆 35.0×27.0cm

熊谷 宗一 Kumagai Munekazu

1962 神奈川県生れ
1986 東京芸術大学美術学部絵画科油画専攻卒業
     O氏記念賞受賞
1988 東京芸術大学大学院修士課程修了
1990 ウィーン応用美術大学入学 (オーストリア政府給費留学生)
1997 同大学卒業 芸術修士取得

1993 MKL 展(ウィーン)
1995 グループ展 AtelierQ(ウィーン) MKL 展(ブラチスラバ)
1997 Diplom 展(ウィーン)
     市川伸彦・高根沢晋也・熊谷宗一 3人展(池袋東武)
1998 高根沢晋也・熊谷宗一 2人展 Gallery ARK 横浜
1999 個展 銀座スルガ台画廊
2000 5つの断章展(日本橋三越)
     村田暁彦・熊谷宗一 2人展 Gallery ARK 横浜
2001 池越直人・岡倉聡宏・熊谷宗一 3人展 銀座スルガ台画廊
2003 村田暁彦・熊谷宗一 2人展 Gallery ARK 横浜
2004 池越直人・岡倉聡宏・熊谷宗一 3人展 銀座スルガ台画廊
2005 村田暁彦・鍋島正世・熊谷宗一 素描展 ギャラリー福山 東京
     村田暁彦・熊谷宗一 2人展 Gallery ARK 横浜
2006 現代日本美術会奨励賞
2007 現代日本美術会年間優秀作家賞



熊谷宗一の細密な幻想世界は、

意味が過剰に充満した小宇宙である。たとえば「吽」という小品は、ちょっと見ると古代の遺跡に置かれた口を結んだ狛犬が、苔むし葉に覆われた姿のようである。しかし、眺めていると葉っぱ以外の赤い花や白い紙切れが見えてきて、そう、御幣の断片かのようにさえ見えてきて、なにか濃密な情念がまとわりついているようにさえ感じてくる。すると狛犬の口が妙に人間的な表情を持っているような感じがしてくるのだが、いやいや、そうしたもの全てが錯覚で、凹型の葉っぱが密集した樹のオブジェに、勝手な物の姿を見出していたようにさえ見えてくる。
つまり小さな画面にもかかわらず多様に解釈ができて、見ているわれわれは時間の経つのも忘れて遊んでしまうのである。

こうした幻想の連鎖反応、

イメージの多義性という遊びを生み出しつづけるというのが、熊谷宗一の持ち味なのだろう。
「吽」という題名の通り、たしかに狛犬の口からは「うぅーん」という噛み締めた奥歯から漏れてくる息、あるいは鼻息のようなものが感じられる。絵の前に立って眺めていて、鼻息を感じるというのもあまりない経験だろう。記号的には時間の経過を意味するはずの、苔むし葉に覆われた姿が醸し出している、この妙に生々しいリアリティーの雰囲気の奇妙さ

・・・これには驚かされる。

この姿は、夢枕獏の『陰陽師』が語るような、呪がかかって生命が宿ったある種の物の怪、つくも神なのかもしれない。
とは言え、熊谷の上品な色彩と繊細で細密を極めた表現には、禍々しい雰囲気は少しもないのだ。むしろマニエリスムの作品が持つような、ある種の冷徹な批評性に裏打ちされたユーモアや寓意のような軽やかさがある。過剰な幻想と意味の氾濫にもかかわらず、エスプリに富んだこの軽やかさは、どうしたことだろう。

濃密な情念の気配を漂わせつつ、

乾いた叙情性と透明な空気に徹するという、矛盾した描写を、熊谷の卓越した表現力は可能にしているのだ。かつてストラヴィンスキーは、音楽に感情を込めることを嫌って客観性に徹したモーリス・ラヴェルを「スイスの時計技師」と呼んだが、絵画の主題に思い入れタップリ・・・というのを嫌っているように感じられる熊谷の作品群は、ラヴェルの「夜のガスパール」のようなピアノ曲を流しながら聴くのがいいのかもしれない。

われわれは、熊谷の本質が、

ラヴェルのような厳密に管理コントロールされたアラベスク的手法にあるのか、それとも詩人ベルトランの夜の気配が濃厚な幻想にあるのか見守る必要があるだろう。



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