ANNE BOLEYN Museum of Art

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「船をまつ」 雲肌麻紙・岩絵の具・箔 P12号

伊賀 晶子 Iga Akiko

現代日本美術会会員/審査員

1969 山口県生まれ
1989 大阪芸術大学芸術学部美術科入学
1992 大阪美術協会展入選
1993 大阪芸術大学芸術学部美術科日本画専攻卒業
1998 京都、ギャラリー射手座個展
2003 「山寺の妻の記」(伊賀奎子著、文芸社刊)の表紙絵担当
2004 個展(ぎゃらりぃ朋 銀座)
     「山中独語」(伊賀洋昭著、禅文化研究所刊)の表紙絵担当
2005 現代日本美術会特別賞及び会員推挙賞



伊賀晶子は、美しい色彩を使える人である。作品は、オパールのような輝きをもった背景を持つものが目につく。

しかし単純明快な線でリアリティーを

再現しようとしている点こそ彼女の持ち味であろう。もちろん西洋画の手法を取り入れた微妙な色調の変化で身体の質感を表現することもしている。
でも伊賀晶子の線は、光学器械で対象を写し取るのではなく、伊賀晶子の目がスキャンして再生された映像のように感じられる。日本画らしい線なのに何故だろう。
彼女の線からは、必死に対象を凝視し、モデルの内面にすら入り込んで理解を深めて最良の明快な線を求めた、

作家の切ないほどに真摯な

“眼力(めぢから)”が伝わってくるのだ。見たものの再現ではなく、脳がシルエットを明確にスキャンするまで凝視しつづけた産物としての映像と私には見えた。ポール・ヴァレリーは目が眺めている複雑な対象から実在していない線を導く作業の高度な精神性、知性を語ったが、そういう精神性を感じさせる。
この裸体の女性像は、爽快に見渡せる海の風景と組み合わされている。この少し離れたら写真的にすら見えるリアルな海は、船でよほど沖まで航海しなければ見れないほどの地球規模の壮観である。

海と天との間に浮かぶ

ちっぽけな船、人間、自分・・・などという思いさえ呼び起こすほどの映像なのに、よく観れば手前部分は裏磐梯の小湖沼群の水面ほどに微妙な色彩変化をたたえ、うねりもほとんどないほど凪いでいる。
つまりこれ自体、記憶にある写真的映像の合成、きわめてシュールな心象風景なのだ。それぞれがリアルな2枚の写真が融合され、逆にデルヴォー等よりも静まり返ったシュールレアリズム的な異空間、異世界を強く感じさせている。腰掛けた裸体の女性は、椅子を除かれて背景と組み合わされているのに、不自然に浮かぶのではなく、海面に腰を下ろして安定感している。遠近法や空間的な位置関係が微妙に歪みながら、

違和感もなく統一されているのだ。

心象世界のリアリティーに即して、斜に構えたところのない率直で真摯な作家の視線とともに自然に了解されてしまうのである。これは奇跡的なバランスの妙である。
理想化された“絵空事”の裸体ではなく、日常的なきわめて生々しい裸の身体であるのに、私生活を覗き見たような不快さも下品さも感じさせない。これは節度ある記録者の態度を保った成果だろう。アリストテレスは芸術の起源をミメーシス(模倣)だと論じて、恋人の美しい裸体の影をなぞって洞窟の壁に線画を残そうとした若者の寓話を示した。

愛情ある対象を模倣・再現

とした彼女の作品が、ある種の聖像のようにさえ感じられるのはこのためか。しかし伊賀晶子が、身近なモデルの再現ではなく、理念型としての普遍的な女性の裸形にもっとエロティックでデモーニッシュな衝動、情念を絡めて表現したら、という期待もまたある。



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