ANNE BOLEYN Museum of Art

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「ささやかな美」 セメント・土壁・パテ H29.5×W19.5×D5cm

伊藤 正澄 Ito Masazumi

現代日本美術会会員

1972 東京生まれ
1997 多摩美術大学卒業
1999 多摩美術大学大学院美術研究科修士課程修了
     多摩総合美術展入選
2000 第10回ART BOX大賞展審査員賞受賞
2001 美は稲妻・5展 グループ展(表参道ギャラリーEMORI)
     灼熱のアジア グループ展(銀座中和ギャラリー)
     個展 銀座ギャラリーイセヨシ
2002 第4回日本-バングラディシュの若き作家展
     in the box展 銀座ギャラリーイセヨシ
     個展 銀座ギャラリーイセヨシ
2004 現代日本美術会特別賞及び会員推挙賞



地方の古い民家のボロボロと崩れかけた土壁を持ってきたような画面である。それでいて、

たとえば丹波焼きの高温で焼き固められ、

炎の偶然で生み出された窯変の"景色"を見るような、圧縮、圧力、密度を感じさせる作品である。これが茶道具に使う焼き物の水差しか何かなら、「雪夜」などと名づけられて秘蔵されたりするのだろう。私はこの作品を前にして、森々と降り積もる雪の、カサッ、カサッという

幽かな音とその匂いを嗅いだような気がした。

三好達治が「太郎を眠らせ太郎の屋根に雪ふりつむ。次郎を眠らせ次郎の屋根に雪ふりつむ」と詠ったように、雪といえば空から鳥瞰する景色が多い。しかし伊藤正澄の作品は、あたかも軒端にあって寒さに凍えながら雪が降ってくる暗い夜空を見上げるような、「これからどこへ行こうか・・・」などと思っている

切ない情感が感じられるのだ。

しかもその軒端の思案というものも、悲嘆や感傷とは無縁な、行乞する山頭火の視線のように、人間の業や葛藤といったものを越えた向こうの自然を冷静に客観視しているのだ。
素材としては湿っぽい情感やノスタルジーに浸ってしまいがちなものだが、伊藤正澄は乾いた叙情性をもって作品をまとめている。思わず山頭火を引き合いに出してしまったが、名門エリートの西行のような余裕ある文学的な漂泊ではなく、お遍路のような目的も持たず、どうしようもない自分の業と激情を抱えながら当てもなく歩を進める自分を第三者の目で見ているような句を詠みつづけた山頭火の鬱勃としたパトスの静かなエネルギーを私は感じずにはいられない。おそらくは伊藤正澄自身のノスタルジーの反映などといった生易しいものではないのだろう。

知らない寒村の廃屋の軒に

降りくる雪を避けながら、じっと壁を眺めつつ思案に暮れているといった情景に自分が佇んでいるという物語を紡ぎださずにはいられない、彼の中にある情念の深淵を覗き込んだ気がして、しかもそういう情念に共振してしまう琴線を私自身の中にも抱えているのだと気づいて慄然とするのだ。



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