ANNE BOLEYN Museum of Art

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「COSMIC PARK」 アクリル パネル 59.4×84.1cm

林 晃久 Hayashi Akihisa

現代日本美術会会員/審査員

1956 東京生まれ
1975 桐蔭学園高等学校卒業
1976 パリ、エコール・ド・ボザール留学
1986 個展 横浜大倉山記念館(春・秋2回)
1987 個展 薔薇画廊(銀座 東京)
1989 個展 ミハラヤ(銀座 東京)
     個展 原宿インターナショナルギャラリー(東京)
1998 個展 備屋(鎌倉)
1999 個展 備屋(鎌倉)
2000 個展 備屋(鎌倉)
2002 個展 ギャラリーY&Y(外苑前 東京) ル・シュマン企画
     個展 カフェ・アン・レーヴ(青山 東京) ル・シュマン企画
2003 個展 ギャラリー元町(横浜)
2004 現代日本美術会審査員特別賞及び会員・審査員推挙賞



林晃久の作品は、透明感あるダーク・ブルーを主体としたモノトーンの、記号と寓意にあふれた女性像。江戸川乱歩や夢野久作の小説を連想させるような大正、昭和初期の雰囲気が充満しているエロティックな世界である。
しかし、ノルタルジーがどうのとか、記号の解読などという話は止めておこう。

この作家は、私信であれ名刺であれ、

手にするものの余白を即興のイラストで埋め尽くして作品にしてしまうほど表現への衝動を抱えている人だが、この過剰さを孕んだエロティシズムは一筋縄ではいかなくて、こちらの方が問題だからだ。

林晃久の豊満で淫靡さを秘めた裸像は、

見る者と奇妙なほど視線を合わせない。
それは、永遠の彼方を見つめる人形を想わせる。
これがベルメールなら、性愛の対象としての女性の肉体という迷宮を徹底的に解剖し、湾曲し交換し、イメージとして凌辱し尽くすものだから、ある種の死体のイメージと交錯するのだが、林晃久の裸婦像は、こうしたある種のサディズムの対象とはまったく性質を異にする。デルヴォーの狂気の気配やバルテュスの少女嗜好の陰気な快楽ともちがった、

醒めた知性を感じさせる。

フロイト以来、女性の性愛の受動性が言われるが、林の描く人形のような女性は、むしろ社会学者ゲオルク・ジンメルの女性論のように、コケットに見る者を誘惑し、支配しようとする能動的な存在のように見える。
女性に無知・無垢でありつづけて欲しいという男性の要請に従った無関心な表情の背後で、自分を覗き見ようとする視線を待ち受けている。

女性が誘うエロスは、

一体感、陶酔感によって明晰な「個」を埋没させ、精神の自立性や全体に対して自己主張する「個」のエネルギーを吸収してしまうのだ。こんなところにシャルル・ノディエやゴーディエのようなフランス・ロマン主義の19世紀末的デカダンの香りが漂うのであるが、同時にこうした女性像の無知で無垢な仮面の背後に潜む底知れなさには、夢野久作が『ドクラ・マグラ』が示したような、人間の自我は孤立した「個」のレベルではとらえきれない遍歴する魂の膨大な経験や物語の蓄積の総体であるという人間理解が内包されているようだ。
こんな絵を眺めながら、過去生での記憶を思い出してしまったらどうしよう。林晃久のエロティシズムにはこんな危険な気配が漂う。

彼の目は、あらゆる対象から

このように過剰な物語を読み取ろうとし、またそれによって画面を過剰な物語で埋め尽くそうとする。見る者の琴線は、感応してかすかに震え始める。
近年の林晃久は、立体の各面を横断して例の視線を合わせない女性像を描きこみ、たくさん並べたその立体を回転させ、組み合わせ、女性像の歪みや部分の交換というチャンス・オペレーションを楽しんでいる。

さらにそれを箱に入れ、

時計やら室内のイメージとも組み合わせようとする。なるほどイメージの物語性をどこまで過剰に紡ぎ出せるのかの実験には好都合な手法だろうが、林がさらに一枚のカンヴァスという制限された世界に戻ったとき、その過剰さをどのように昇華させるかに注目していよう。



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