ANNE BOLEYN Museum of Art

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「しのばしの宴」 シルバーポイント・顔料・板 53.0×33.4cm

上田勇一 Ueda Yuichi

現代日本美術会会員/審査員

1974 東京生まれ
1995 高橋勉氏に師事し古典技法学ぶ
1996 日本工業大学工学部建築学科卒業
     同大学同学科研究生(98年まで在籍)
1998 第1回象の会展(ギャラリーモテキ・銀座)に出品する
1999 第16回FUKUIサムホール美術展、大賞受賞
     第6回ギャラリーピクチャー大賞展、審査員賞
     第3回熊谷守一大賞展、入選 賞候補
2000 個展 ギャラリー恵風、埼玉、越谷
     時分の花展 ギャラリー朋、銀座
2001 第5回新生展 大賞受賞
2002 「世界の果ての庭」 西崎 憲 著(新潮社)の装丁を担当
     (日本ファンタジーノベル大賞・大賞受賞作)
2003 第38回昭和会展、優秀賞受賞(日動画廊 東京・大阪)
     現代日本美術会会員推挙賞
     個展 新生堂、港区 南青山 東京
2004 新たなる視覚展(福岡日動画廊)
     第39回昭和会展賛助出品(日動画廊本店)
     現代日本美術会大賞受賞
     個展 ギャラリー恵風、埼玉、越谷



シルバーポイント(銀筆)による細密な表現。静謐な夜の世界を感じさせる。色彩のないこの絵画空間に、上田勇一はどのような寓意を込めているのだろうか?

このような「夜」の表現を

前にすると、私は、どうしてもノヴァーリスを考えてしまう。恋人ゾフィーの死に直面して、ノヴァーリスは世界の崩壊を体験した。「彼女なしには、この世界は何の意味もない」 自分の眼前の向こう側には意味もない客観的存在者の世界があり、こちら側には主観的な人間存在があって、橋渡しのしようもない二元論的分断があるだけ。

魂が震え上がるような

孤独がそこにあった。悲しみのあまりの精神の崩壊が、即世界の崩壊という主客合一の実感を獲得したというのに、一ヶ月もすると自分が日常と習慣の世界に浸っていることに驚愕するのだった。自分は、日常の世界からも孤絶し、心身二元的に分断された主観意識の世界はあまりにも孤独だ。
彼は、夜中になるとゾフィーの墓を訪ね、その傍らに坐って思索を続ける。

白昼の光のもとで

見えていたものは、現象の世界、かりそめの夢幻にすぎない。夜とともに、われわれを欺く色彩は失われ、現象は去る。色彩のない、暗い闇のなかでこそ、実存の自己開示が静かに始まるのである。
上田勇一自身が自己投影されたかに見える画中の鶏は、なぜ目を覚ましているのか?

花の茎の根元は、なぜ断裂し、

枯れているのか? 空間的な位置関係は・・。いやいや、私には、ゾフィーという死せる花の傍らにたたずむノヴァーリスの姿に見える。
この作品には、現象の世界のこのような認識論は、まったく意味がないのだ。なぜならここでは現象は消滅してしまっているからだ。上田は、銀の尖筆を握って闇の空間を構築していく。光を失ったこの画面に光源を与えるのは、開示されていく実存の内なる光、すなわち知性だけなのである。

この作品の静謐さと品格の高さは、

無意識の闇に沈んでいた心象を白昼の下に持ちだそうとする行為とは全く逆に、色彩にあふれた現象・仮象の日常性、習慣性というふやけた欺瞞性を、夜を作り出すことで剥ぎ取った本質的な思索に至ろうとする営みがあるからなのだろう。
ノヴァーリスは、自分自身の内部に入っていくことが、外界との真の関係を回復する唯一の方法だと考え、魂において自然と精神の婚姻を目論んだ。上田勇一も、シルバーポイントという、きわめて古典的な手法を採用することによってさまざまな禁欲的制限を自らに課し、それによって逆に、魂における対象と自己との合一、自然と精神の婚姻、現象を剥ぎ取った存在そのものの開示、これらを画中において実現しようとしているように思える。

乾いた叙情性、

ロマンティシズムとは、きっとこういうものだろう。


[技法/シルバーポイント]
シルバーポイント(銀筆、銀尖筆)は、中世末の12世紀から17世紀半頃まで素描の技法として一般的に知られていた。ルネサンス期には、レオナルド、ラファエロ、デューラーなどが、すぐれた作品を残している。
銀筆は描いた当初は鉛筆のような黒い線だが、時間の経過とともに銀が酸化し、その線の色はややこげ茶色に変色するという特色を持っている。自然酸化ならば、半年から一年で徐々にヴェルダッチオ風の色調になる。
また銀筆だけで作品を仕上げるには、光の根源は「地の明るさに求める」ことが必須である。


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