ANNE BOLEYN Museum of Art

index



「静かな鏡」 S 4号

野口卓矢 Noguchi Takuya

1976 東京生まれ
2000 東京芸術大学 美術学部 絵画科 日本画専攻 卒業
     ART BOX 日本画新人賞選抜展 新人賞
     第15回国民文化祭「水墨画」広島県議会長賞
2002 東京芸術大学大学院 美術研究科 文化財保存学
     保存修復 日本画専攻修了
     (修了制作にて国宝「那智瀧図」を模写)



繊細な線が活きているデッサン。淡い彩色であるのに、美しい女性の頬の生気、肉感が表現されていて、

作家の並々ならぬ手腕がうかがえる。

「静かな鏡」という作品では、ほぐした和紙の凸凹のある質感が画面として試みられているが、これが野口の新しい方向性なのだろうか。他の作品同様、細密な表現であるのに、近くからではなく少し距離を置いてみるといい。

3mほど距離を置いて眺めると、

むしろ急激に焦点が合う感じで、画面の奥底から美しい女性像が浮上してくるのを経験する。実験としては成功だろう。
かつて小林秀雄は、「モオツァルト」において天才は、凡才が容易と見るところに難問を見るという精神の危機を論じた。

才能あるものは、

凡人が技術的困難に苦しむところでも、容易にこなしてしまう。どこにも困難がなくなってしまえば、今度は進んで困難を発明しはじめる。「天才には天才さえ容易に見える時機が到来するかもしれぬ。モオツァルトには非常に早く来た。ウィゼワの言うモオツァルトアの精神の危機とは、そういうものではなかったか。もはや五里霧中の努力しか残されていない」。
しかし私は、逆のことを想ってしまう。
野口卓矢もそうだが、天賦の才能を持った画家の卵は、最初から、恐るべきデッサン力を示したりする。あまり容易にキレイな絵が描けてしまうと、

今度は、それを壊したくなり、

もっと困難の中で美しさを実現したくなるのかもしれない。
でも作品を見せられるわれわれとしては、作家の自己実現や自己解放には興味はないのだ。みんなが哲学者や美学者であるわけではないから、人間存在の深奥に迫ったり、存在の苦悩や表現の可能性の追求に付き合ってはいられない。

複製には絶対ないアウラの礼拝的価値、

すなわち独占して愛玩せずにはいられない、心に秘密にしまわれた記憶や理想像という琴線に触れる美しさ、魅惑・・、それが大金を投じても手に入れて側に置きたい「美しいもの」なのである。作家は、購入者の欲望にさらされる中で、人間への洞察と表現を深めていく。
野口にも、実験ではなく、もっとエロチシズムと陶酔感を深めた美しい肖像を描き続け、「野口節」といわれるようなタッチを確立してもらいたい。

野口卓矢の清冽で上品な筆使いは、

人間の高貴な精神性も表現できるだろうし、もっと猥雑で耽美的で陶酔感のある生きた人間の美の描写へと熟成もするだろう。モーツァルトは、シカネーダーという市井の天才的興行師との交際の中で大衆の欲望に応えつつ、人間の心への洞察を深めてレクイエムに至ったのではなかろうか。イデア先行の自己完結的で自己満足にとどまる美の追求だけでは、人間の深い悲しみや愛おしさはわからない。
五里霧中の努力ではなく、容易に思える、確立したスタイルで生きて呼吸している人間を描くことを一層深めていくのは、もっと難しいのである。



index