モスクワ日記 --- 遠い昔の思い出 ---

7/15(金)
名古屋空港から SU592 でモスクワに向け出発。ホームステイを希望していたが、 出発当日になってもステイ先が決まらないということで不安な旅立ちでもあった。
7/16(土)
朝、目を覚ますと皆出掛けた後の様で、私はお父さん(ホームステイ先の)と2人 きり。そのお父さんは、なぜ私がここにいるのか?事情がまだよく飲み込めていな いようであった。私の方はと言えば、とにかくお腹が空いていたので朝食に何か食 べたかった。そこでお父さんに「朝食を食べませんか?」と声を掛け、なぜか2人 分の目玉焼きを作り、一緒に朝食をとった。「一体何をしにモスクワなんぞに来た んだい?」と質問をされながら・・・。こうして私のモスクワ生活は2人分の目玉 焼きを作りから始まったのだった。そしてこの日の午後には早速、モスクワ大学の 植物園を見学に出掛けた。両替もした。この時は1$=2040ルーブルだった。
7/22(金)
ステイ先の娘と一緒に友達の家に遊び行く。「Тусовка に一緒に行かない?」 って誘われた。「Тусовкаって一体何?」Тусовка とは初めて耳にす る単語だった。それはPartyのことだど言う。(因みにこの単語には、Тусоваться という動詞形もある。)「じゃあ、行く!」と連れて行ってもらったのだが、 皆で ДДТ の音楽なんかをかけながら楽しんでいると、突然招かれざる客が・・・。 ドアを開けると、そこに立っているのは警察だった。あまりのうるささに隣人が通報 したらしい。(確かに窓は明けっ放しだし・・・、相当うるさかったに違いない。) その当時は皆、一番遊びたい(?)年頃だったようだ。その後、彼らももうこの Тусовка のような騒がしい集まりは徐々にしなくなったと聞いている。そして今では、Тусовка というこの言葉自体がもう死語となっているのかもしれない。
7/25 (月)
家におじちゃん(お母さんのお父さん)がやって来るというので、プレゼントしよう と思い、花(バラ)を買って帰った。とても素敵な色合いのバラだったが非常に高く、 とても花束にするには財布の中身が十分ではなかったし、あまり豪華で仰々しいのも どうかと思い、その素敵なバラを2本貰った。ところが、この2本という数がいけな かった。2本は、お墓に供える花の数だったらしい・・・。帰宅してホームステイ先の お母さんに花を見せるとまず、そのことを教えられた。結局、その中から一本綺麗な 方を選び、花瓶に挿しておじいちゃんにプレゼントすることになった。
7/28(木)
帰り道ふらっと近所の本屋に立ち寄った。そこでアガサクリスティーの『オリエント 急行殺人事件 (Восточный экспресс)』を発見。その中には『そして誰もいなくなった (Десять негритят)』も入っていたので即 購入。2500ルーブルだった。
7/31(日)
先生のお宅に皆でお邪魔することになっていたが、集合時間に遅れたので置いていか れた。仕方ないので友達と自力で行くことにした。その道中、УНИВЕРСИТЕТの駅前で桃を買った。この桃の美味しかったこと!私も友達をペロリと食べて しまった。桃の話はさておき、勝手な推測で行こうとしたら案の定道に迷ってしまっ た。そこで、先生に電話。正しい道順を教えて貰い、無事辿り着くことができた。先 生の家の近くの森はとても素敵である。まさにロシアの森だ。またぜひ訪れたい場所 の一つである。
8/5(金)
 
ステイ先のお父さんのお誕生日。皆でテーブルを囲んでお祝をした。ロシア人の先生 もやって来たが、日本で見る先生の姿とは何処か違って見えた。一緒に踊ったりして とても陽気だった。シャンパンを飲んで、一人私は先に眠くなってしまった・・・。
8/6(土)
ステイ先のお父さんとお母さんはダーチャヘ。家は子供たちだけだ。昨日のお父さん の誕生日会に続いて今日もパーティー。ブリヌィを焼いたりしてパーティーの準備。 私も少しは手伝ったように思うがあまり記憶にない・・・。それにしてもこの日は凄 い人数がやって来た。一緒に勉強しているドイツ人の4人組に私の友達。ステイ先の娘の友達に息子の友達。最終的に何人やって来たのかは定かではないけれど、とにか く騒がしく夜は更けていった。
8/8(月)~18(木)
モスクワの郊外(МЕШЕР)に向け出発。ここの地でも引き続き授業は行われたが、 色々ロシアならではの経験をしたし、子供達との出会いもあって今思い起こせばとて も充実して日々だったように思う。ロシアならでの体験とは・・・
8/20(土)
ステイ先のお母さんにダーチャに連れていって貰う。私の大好きな赤すぐりと黒すぐりが沢山実っていてちょっと幸せ気分。私も赤すぐりと黒すぐりの収穫を手伝う。近くの森にきのこ狩りに も出かけるが、どうも私には上手いこときのこが見つからない・・・。それでもお母 さんが見付けた分を私に分け与え、私が見付けたことにしてくれた。今度行ったら、 ぜひきのこ狩りのコツを身に付けたいものだ。
8/27(土)
Сергиев Посад にある友人宅に泊まりに行く。ロシア人と一緒とは言え、 夜遅く女性2人で電車に揺られているのは少し恐かった・・・。駅に着いても適当に 車を拾って他の客と相乗り状態。とにかく友人宅に無事辿り着いた時にはホッとした。 彼女は化粧法が昨年とは変って、ぐっと若くなったようだった。そんな彼女は、今は もう亡き人である。私とさほど歳も変らないというのに・・・。神は時にとても残酷 だ。彼女の冥福を祈る。
9/5(月)
モスクワ19:45発 SU にて名古屋に向けて発つ。
  この日を最後に、「またすぐ来る」と言ったきり、私はモスクワの地を踏ん でいない。この年のモスクワ滞在は初めの頃色々とトラブルも多かったので、一 度はもう本当にどうしようもなくロシアが嫌になった。「もうロシア語も勉強した くない。ロシア文学なんてまっぴらご免。さて帰国後、私はどんな進路をとるべ きか?」と・・・。今では何だか笑い話のようであるが、その時、本人はかなり真剣 だった。しかし帰国する頃にはそんな気持ちは何処へやら。またロシアがすっか り好きになっていた。なんて単純な奴なんだと思われそうだが、人間なんて結構単 純で、些細なきかっけで好きになったり嫌いになったりするものではないだろうか 。でもやはり私がまたすっかりロシア好きに戻れたのは、ステイ先のモロゾフ家 あってこそだと思う。割りと放任主義なのだが、「靴の踵がだいぶすり減ってきた ようだから、修理に持って行った方がいいわよ。」と意外にちゃんと見ていてく れたりする。下手なお客さま扱いはなく初めは多少戸惑ったが、家族の一員として 接して貰え結果的にはとても居心地が良かった。私の第2の家族のような存在であ る。そんなモロゾフ家にもついに家族が増えた。娘の旦那さまと息子のセリョージ ャだ。2人も増員だからもはや私が滞在させて貰うお部屋はないよな~と思いな がらも・・・、久方振りに「ただいま!」とモロゾフ家のドアをノックしたい思い に駆られる今日この頃である。
モロゾフ家に感謝と愛をこ・め・て。 25 Feb. 2000