わたしはロシア語の成績はいつも良かったけれど、否定生格というのだけは生理的に受け付けなかった。不在なものは、主体である資格を奪われるかのように主格でなくなってしまう。(p14)
そのロシア人女性は、アンナという名前なのに、ロシア語の教科書に出て来たアンナとは全然違っていて、わたしに、兄弟が何人いますかとも、どこで生まれましたか、とも聞いてくれなかった。お元気ですか、とも、今度の日曜日は何をしますか、とも聞いてくれなかった。ずっと、ドイツ語ばかりしゃべっていた。ドイツ語ばかりしゃべっているアンナをもうアンナじゃなくて、アンネだ。(p33)
彼は自分の脳や舌にべっとりとこびりついた日本語を非母国語化しなければならないと思った。そこで彼は外国語と恋愛しようとした。外国語大学でロシア語を専攻し、第二外国語でフランス語を学び、スペイン語の学習を趣味にし、英語の学習を息抜きにした。・・・(中略)・・・彼はしめたと思った。日本人たらしめている証拠の一つが曖昧になったことを喜んだ。(p72-73)
「ジーズニ ハラシャー ア ジーチ プローハ(生は良し、生きるは悪し)」と彼は呟いた。それは、どちらも素晴らしいといったマヤコフスキーの言葉のパロディーだ。(p104)