10月2日、赤井グランドにおいて川口カップが開催されました。
チーム構成
T.F.C.U-12
6年 5年 3年
植竹 祐人 小林 渉 中道 麗心
千葉 大夢 中根 康佑
斉藤 開輝
石黒 秀輝
吉田 凌
飯田 将太
宮中 翼
相馬 あい
野島 佑悟
試合結果(11人制、20分ハーフ)
予選B組
T.F.C. ー 蕨 錦
1 ー 1 相馬あい 1
T.F.C. ー 神根FC
7 ー 0 石黒秀輝 6 千葉大夢 1
総 評
トップ選手たちと交流させていただいたチーム・関係者の方々に社交辞令でよく言われることは「みんなサッカーが上手いですね。。」である。この言葉を繰り返される度に、コーチはいつも複雑な思いに駆られます。決して「強いですね」とは言われません。。
チャレンジ選手は一人前に「上手い」のは当たり前、それ以上の「何か」を求めているからチャレンジ選手なのではないでしょうか。ちなみに、コーチが言われて一番嬉しい理想のコメントは、「いい選手いますね。」です。
この2年間、6年生チャレンジ選手は「運動能力の向上」と「勝利のためのメンタリティ」の2つをフォーカスしてきました。と言うよりは、公式戦、交流戦、練習を通して、それしかやってきませんでした。
「心と身体を変える」ために普段から様々な「習慣」を意識してもらっています。実戦はそれらを検証する発表会の場です。ハーフタイムは選手のバイタリティを問う時間に費やす事がほとんどです。やっている事はいつも同じなのですから、ゲームの展開にかかわらず、選手たち自らが自身のバイタリティを確認し合ってほしいところです。
さて、コーチが最近手にした書籍の中でも、特に共感できる文章がたくさんちりばめられた風間八宏氏の著作を紹介したいと思います。それほど難しい文章ではありませんので、是非一度読んでみることをお勧めいたします。
風間氏は日本のサッカー界への提言として「戦闘能力」を持った選手の必要性を述べています。これは氏が普段接するトップクラスの選手たちだけでなく、チャレンジ選手にもピッタリと当てはまるものだとコーチは思います。
(以下抜粋)
『戦闘能力とは』
・自分自身が経験して、何かを乗り越え、勝つための方策を考え抜くこと。それが「戦闘能力」なのです。
・戦闘能力は、生きる力です。サッカーだけの話ではなく生活や社会、教育など、すべてに通じる考えです。誰しも1日24時間を与えられています。プロのサッカー選手は、その平等に与えられた時間で自分をコントロールして、食事から練習、体のケアなどに時間を充てています。一流と言われる選手ほど、厳しく自己を律します。
・それをみなさんの暮らしに当てはめてみても、同じだと思うのです。自分で考え、自分に必要な方法で時間をコントロールすれば、学生は勉強で、社会人は仕事で、など、それぞれが置かれた立場で成長できるのです。それが戦闘能力でしょう。
・自分がやりたい物事を見つけること。人の顔を見たり話し方を聞いて情報を集め、状況を知ること。きちんと挨拶ができること。自分の考えを言葉にして話せること。生活のあらゆる場面で戦闘能力は試されていますし、誰もが戦闘能力を持って生活しているのです。
・選手に対して言葉をかけるときに私が注意しているのは「やれなかったこと」を怒るのか、「やらなかったこと」を怒るのか、という点です。サッカーは自分の判断でしかできないスポーツです。選手には「やらされるなら帰れ」と言います。監督にやらされたり義務感でやるのではなく、自分でやるために来い、と言っています。
・私が思ったことと違うプレーを選手がしても、うまくいけばそれでいいのです。逆に、練習でできていることを試合できっちりこなしたとしてもあまり褒めません。当たり前だからです。そして、いつも最後にこう言います。
・私はサッカーを楽しむだけのためにいままで自分でプレーしたり、選手と一緒にやってきたのではのではありません。
戦う相手がいるというのは幸せなこと。サッカーはいつでもできますが、サッカーという戦いは今しかできません。ですから、その戦いを思う存分楽しめ、という意味です。
『戦闘能力を高める4つのスピード』
世界の一流とそれ以外を分けるのは、技術の高さというより判断力の高さだと書きました。選手が「サッカー」をするために欠かせないこの判断力を生み出すには、次の「4つのスピード」が必要であると考えています。
1、体を動かすスピード
2、技術のスピード
3、考えるスピード
4、考えないスピード
この4つ次第で、判断の早さと種類、質が変わってきます。例えば、ドリブルの技術があっても、体を前へ運ぶ速さや的確な状況を見極める目がなければ意味がありません。この4つは、それぞれが個別に存在するのではなく、どれが欠けても「早い」「速い」とは言えなくなるのです。
体を動かすスピードには、前へ後ろへ、上へ下へ横へ、さらには倒れて起きる、などといったものが考えられます。別の言葉を使えば、素直にまっすぐ走ることや一瞬で対応できる瞬発力、コーディネーション、復元力などです。
自分の体をいかに自由に操ることができるか。それが最初に挙げた「体を動かすスピード」の正体です。
次に技術のスピードですが、これは「正確性」と言い換えることができます。自分が止めようと思うところに一発でボールを置けるか。アクシデントが起こったらすぐ次にいい場所に置けるか。どんな体勢であってもどんな状況であっても、焦ることなく正確にボールを扱えるか。急いで二度触るより、落ち着いて一度で止めた方が早いのは当然のことです。ボールスピードの速さ、動きながらボールを扱える技術、そしてボールを受けることにも正確さが求められます。(中略)
続いて、考えるスピード・考えないスピードについてですが、ピッチ上で「考える」とはどういうことでしょうか。前章の説明にさらに加えると「自分がやりたいこと」「自分がやられたくないこと」「自分の状況」「相手の状況」が見えているかどうか、ということになります。少し言い方を変えると、考えるとは「見えているもの」は絶対に見逃してはいけない、ということです。
選手によって、または状況によって、見えているものの種類も数も変わってきます。4つ見えている選手もいれば、1つしか見えていない選手もいます。それがいくつであっても、いま見えているものをいつも見えるようにしておくこと、その数を増やすこと、そして見えているという状態を一度も途切らせないこと。これができるようになると、「考える時間」を作れます。そして、考えることができると「プレーする時間」を生み出せます。(中略)
とは言っても「考えられない」「見えない」という場面もあるわけです。そのときには「考えるな」と伝えます。自分が考えていなかったり見えていないという事実をしっかりと理解することが先だ、という意味です。それを自分で認めずに「考えるフリ」をする選手が多いのですが、それは決してやってはいけないことです。
考えるフリとは、考えるべきタイミングから遅れているのに、見えるものを探そうとしたり、「こうしたかったはずなのに」と思うこと。いい加減なプレーや、感覚だけのプレーは、ほとんどが考えるフリをしたときに出てきます。
それをする暇があるのなら、絶対に取られないところにボールを置くか、もしくは味方の選手に一度預けて、その時間で考え直すべきです。それが1秒でも0,5秒でもいいのです。「自分は考えていなかった」という事実を理解すればいい加減なプレーはできないし、どれだけ短い時間であっても自然に考えるようになります。私は「感覚を信用するな、自分を信用しろ」と言いますが、それは「見えていないときにプレーするな、見えているものを信じろ」という意味なのです。つまり「考えないスピード」とは、自分が考えていないこと、見えているものがないことに気づく早さだといえます。(中略)
では、最も大事なことはなんでしょう。それは、この4つのスピードについて個別に教えてはならない、ということです。4つがそろっていなければ「スピードをものにした」と言えないからです。何一つ欠けても、目的を達成するためのスピードは生まれません。(中略)
4つすべてを、何らかの形で備えること。指導者はそこを見抜く目を持っていなければなりません。どれか一つ、極端に秀でている選手もいます。例えば、まっすぐ走れば誰にも負けない選手がいるとしましょう。これがその選手の「武器」です。それを本当の意味で生かすには、残りのスピードも一緒に高めなければなりません。そうすれば、俊足を最も効果的な場面で活用できるからです。もし、武器を生かせていないとするならば、残りの部分が欠けているから。それはその選手に才能がないか、指導者の偏った指導を受けているか、でしょう。(中略)
私は、どんな舞台でもどんな相手でも「サッカー」をする選手を見たいですから、足が速いだけ、技術があるだけ、といった選手には魅力を感じません。ドログバよりも身体能力の高い選手はほかにもいるでしょう。でも、ドログバのようにはゴールを決められません。彼は技術もスピードも考える力もあるのです。全部を持っていて、全部が特別なのです。
サッカーは、何か一つの技能だけを競うスポーツではありません。頭脳と体が一つになって何かを生み出し、ゴールを決めるスポーツです。
風間八宏著 日本サッカーを救う「超戦術」