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たたかい
金の髪をきりりと束ねたエプロン姿。ユーゴーは沸騰して蒸気をあげるやかんを火から下ろした。
「良い香りね。今日は何?」
恵がキッチンを覗くと、ちょうどポットに湯を注ぐところだった。
「トワイニングのプリンスオブウェールズです。今日はアイスにするの」
「またぁ!?」
聞くなり恵は不満の声を上げた。
「たまにはアールグレイとか、セイロンとかにならないわけ? せめて夏なんだからミントティーにしてもいいじゃない」
たった一言、涼が美味しいと言ったためだ。一度恵が別の茶葉で入れたことがあったが、涼は少し不思議そうな顔をして、その日は二杯目を求めなかった。
以来、同じ紅茶が続いている。だが恵以外誰も文句はないらしい。
「ごめんなさい……」
「まあ、いいけど……でも、ほんっとあんたって涼が好きなのね。一体どこがいいわけ?」
突然の無遠慮な質問にユーゴーは一気に耳まで赤くなった。
「そ、それは……ええっと……あ! ポットのカバーどこだったかしら」
誤魔化して背を向ける。だが、お茶の用意をしながら、ユーゴーは小さく呟いた。
「カツミさんを助けないと」
恵はテレパスゆえの親友の不幸を思うとやりきれなかった。カツミがどれほどいい女だったかは知らないが、あんなことにならなければ涼もここまで執着しなかったように思うのだ。
「涼は本当にカツミさんを大事に思っています。あんなふうに想われたら素敵ですよね。ただ一人のひとを、ずっと好きなひと……」
ユーゴーは、「そこが好きなんですよ」と微笑む。恵はカツミが自分とそっくりだということにも、あまりいい気はしていない。同じ遺伝子ならしようがないが、自分を見るたびにユーゴーはどんな気持ちなのだろうかと考える。
「恵さんはカツミさんとは全然違いますよ? 私は顔かたち以外でも人を判別できますから」
「顔かたちで涼に惚れたわけじゃないものね」
もう表層意識を読まれても嫌悪感はなく、まぜっ返せるほどに慣れた。テレパシーが無くともユーゴーの優しさやデリケートさが、恵にも読めるようになったからだ。
「敵を相手にしたときのユーゴーは信頼してるけど、恋の戦いに情けは禁物よ。その点あんたってばへんに遠慮するところがあるから心配だわ」
「そんなことないですよ、ただ戦いはフェアなほうがいいじゃないですか。彼女がエグリゴリの手から戻ってきてからのことだと思うから、それまでは私待ちます」
白い指先がポットカバーをなでつけている。その細い指で恵をなぐり、恵を守ったのだ。青い目は、はかないすみれ色にも見えるが、澄みきって落ち着いている。
「気の長い話ね」
「いいえ、すぐですよ」
抽出時間を計っていた砂時計は、もう半ば以上落ちきっている。
「ぼうっとただ待っているわけじゃないわ。チャンスは逃さないつもりよ」
ユーゴーはいたずらっぽくウインクした。
少しだけカップに紅茶を注いで味をみる。決まった抽出時間はあるが、使う水などにもよって味が変化するから、結局は自分の目と鼻で確かめるしかない。
「それでこそ戦いでしょ? それにこの先どうなるかは分からない。彼の意識が見えてはいても、心の底の動きまでは分からない。……未来は誰にも分からないわ。自分の気持ちだって変わらないという保証はないし」
「そんな……」
恵から見れば涼とユーゴーは似ている。粘り強く、深く人を思いやり、潔い。簡単に信念を変えたりしない。
砂時計が落ちきる少し前に、氷を詰めたアイスポットへ紅茶を注いだ。味見をして時間前でいいと判断したらしい。
「……最初はこんなこと早く終わればいいと思ってました。すべてが終わったら、きっとそれからが始まり……そんな希望を持とうと思ってました。でも……」
半分ほど勢いよく熱い紅茶を注ぐと、氷が小さくはぜる音がする。急激に溶けて割れる鋭い音だ。
「たくさんの人が死んで、みんなが苦しむばかりなのに、いつまでこの戦いが続いてくれるのか、いつ終わりが来るのか……ときどきそう思って不安になるの」
ユーゴーの瞳が揺らいだ。今にも涙が落ちるような気がして、恵はその肩にそっと触れた。
「答えを出さずにずっと彼と居たいなんて、卑怯ですよね」
「……天使は廃業したんでしょう。人間ならそんなふうに思うこともあるわ」
ユーゴーは泣きはしなかった。けれどその心の傷が、女王の目で見えるような気がした。
「迷います……でも迷っていても、人には生きようとする力があるのも分かっているから。涼を見ていると、とてもよく分かるの」
恵は目を見開いた。未来は分からないと言いながら、涼の心が変わり難いことを誰よりもよく分かっているのは彼女なのだ。迷いながら、それでも希望を賭けることをやめない。
「彼や、あなたのような友達に会えたことが、神様のくれた大きな幸運。今は、生きている、それだけで十分」
ユーゴーはグラスを棚から取り出しながらそう言い、嬉しそうに笑った。
恵は可憐だが強靱な野花を思った。季節に枯れてもまた時がくれば萌えて花咲くのだ。生きるのをやめないかぎり。
「……あたしが男だったらほっとかないのに……」
自分の汚い欲望も綺麗な思いも知っている。それでも側にいてくれる。ユーゴーがどれほど恵たちを愛しているか、それだけで大きな答えだ。
恵の言葉は聞こえなかったようだった。
「いけない! 残りのお茶、置き過ぎてしまったわ」
「隼人にでも飲ませりゃいいじゃない。どうせあいつにお茶の味なんかわかるもんですか」
言いながら二人して笑いころげた。息をつける穏やかな日はもう来ないかも知れない。
せめて今、精一杯笑う二人を、兜が何事かと覗きに来た。
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